統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

昔の議論を思い出した

昔大学で、「嘘はついてはいけないVS嘘も方便」という議論をしたらしいが、私は講師の先生が苦手な為にサボっていたが、正直楽しそうだから出れば良かったと少し後悔した。

 

嘘はついてはいけない派の人間は、どんなシチュエーションでも嘘をつくなの一点張りで、嘘も方便派は人を守る為の嘘をついてもいいというところで話が平行線になったみたいだ。そして嘘をついてはいけない派が「そういう嘘をつくのは自分に甘い」という暴言を吐いたらしい。

 

私から言わせてみれば、ガキの喧嘩である。

 

私は「嘘も方便派」だ。ただし、人の為につく嘘という限定的なものだが。

 

例えば、余命が半年しか無い人に「私は後どの位生きられるのか」と聞かれたら、本当のことを答えるのだろうか。その人のポリシーによるが、仮に本当に半年と答えて絶望し、自死してしまう可能性も否定出来ないし、そこから容態が悪化して寿命が早まる可能性もある。そういう人にはオブラートに包んで伝える。オブラートに包むこと自体、ぼやかして言っているので、本当のことを言っている訳ではないと私は考える。それか敢えて長めに伝えて、そこから励ましつつ余生を楽しく過ごさせることで、寿命よりも長生き出来る可能性もあると私は考える。

 

これを言っては元も子も無いが、ケースバイケースだと思った。嘘をついてはいけない派は、他人に希望を持たせて嘘から出た誠を望むことすら「自分に甘い」という一言で片付けるのだろうか。逆に常に自分の意見で他人を振り回し、他人に我慢させる(自分自身に嘘をつかせる)ことを正当化している様に見える。

 

ちなみに闘病中の私は、自分自身に対してペテン師だ。自分自身を騙して、自分は治ると言い聞かせ、自分はいずれ薬を飲まなくてもよくなると自分自身を騙している。本当は一生薬を飲まなければならない可能性もあれば、そのまま悪化して閉鎖病棟行きという可能性もあり、事実認知機能の低下を肌で感じ、段々不安定になる自分の情緒にも恐怖感を感じているのに。

 

常に「自分は軽度で健常者と変わらない」と言い聞かせながら生活している身としては、せめて脳内だけでも希望を持ちたい。これすらもダメなら、何を目標に生きたらいいのだろう?こういう嘘がダメなら、何を信じたらいいのだろうか?

 

という疑問が沸いた。

 

本当は自分はあまり調子が良くないのは分かってるし、このままだと子どもを持つことも、働くことも出来ないのは自分がよく分かっている。でも、良くなったことを妄想して、それに向かって頑張って、嘘から出た誠を信じてもいいじゃない。

 

ということを考えてみた。