統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

闘病日記~昨日の体調~

昨日は1日中安定していた。

 

早く起きたので、早めに勉強をした。やはり年金の部分は覚えられない。数字やら言葉やら、覚えなくてはならないことがたくさんある。もはや音読してて、何がなんだか分からない。ひたすら頭の中に叩き込んだ。

 

その後朝ごはんを食べた。友人から教えて貰ったチアシードをたくさんヨーグルトに混ぜたものを食べたが、かなり食べごたえがあった。たくさん食べたい時は良い。

 

朝ごはんを食べてからシャワーに入った。本当にこの病気はお風呂に入れなくなる。しっかりご飯を食べたおかげか、フラつかない。きちんとボディケアと髪のトリートメントまでした。

 

少ししてから買い物に出掛けた。タバコを買いに行ったが、少しコンビニ店内を見ていたら肉の丼が気になったので買った。予算的に今日はあまり買い物が出来なくなったが、まぁいい。

 

家に帰って丼を食べたが、やはりお肉は好きだ。ペロリと平らげてしまった。

 

少ししてから掃除と皿洗いをした。掃除は床を雑巾がけをしたが、不思議とハウスダストアレルギーが出なくなった。たまには雑巾がけをしよう。ただやってて少し鼻が痒かったが。

 

少し休んでから予習・復習をした。勉強を始めてから少しずつ認知機能が良くなって来ている。あれだけ朝に混乱しながら勉強していた部分が、夕方の復習の段階でかなり覚えていた。毎日脳を使っていると、段々良くなって来るのか。少しずつ脳を鍛えていこう。だが、三周目の新しい章を始める時、少し脳が混乱する。ここをどうするのかが難しい。

 

夜、ふとある考えが浮かんだ。私は年月こそかかるが、欲しいものはだいたい手に入れている。スタイルの良い体も、メイクをすれば綺麗になる顔も、お金も、美味しいご飯も、何かに向かう為の目標も、大学入試や卒業も、あまり苦労をせずに手に入れている。というより、手に入れることに一生懸命になっていて、苦労したことを忘れている。そして努力していた記憶すらあやふやだ。年月はかかっても確実に手に入れていたが、あまり苦労した記憶があるような無いような気がする。

 

逆に何故わざわざキャパオーバーな苦労をしなければならないのだろうか。日本人は苦労を美徳とするが、昔は私も苦労を美徳としていたが、今は違う。欲しいものを楽に手に入れて何が悪いのだろうか。確かに端から見れば努力しているように見えるかもしれないが、本人はあまり苦労している実感が無い。じわじわとやっているせいか、うさぎとかめのかめのごとくゆっくりと欲しいものを手に入れている。これの何が悪いのだろうか。

 

買い物にしても、貯めてまとまったお金があるからこそ大きな買い物が出来る。そして余ったお金をまた貯めて大きな買い物をする。これが悪いと言うのなら、何が正しいのだろうか。

 

ご飯にしても、美味しい物が食べたいが為に管理栄養士育成の大学に進んで、調理技術を様々な分野で学んで今に至る。美味しい物が食べたいが為に調理技術や調理の歴史や科学的根拠を学んだ上で美味しい物を作り続ける。何が悪いのだろうか。

 

またファイナンシャルプランナーの勉強にしても、お金と貯金・投資が好きで極めたいのと同時に、たくさんお金が欲しいから勉強している。これの何が悪い。

 

そもそも欲に忠実で何が悪い。何かを努力と言うのなら、好きなものを手に入れる為に足掻いてる様なのでは無いだろうか。最低限の礼儀を尽くした上でスマートに手に入れる。これが悪いのだったら何が正しい。というより、やりたくもない苦労をして要らないものを手に入れて病む位なら、初めからやらない。病んでからでは遅い。

 

だからこそ欲しいものは全力で手に入れる。よそはよそ、うちはうち。人に迷惑さえかけなければ良いだろうが。私は欲しいものの為に奔走する。他人がなんと言おうと奔走する。

 

もやはや開き直った1日だった。