統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

なんということだ…。

先程、妊娠検査薬で検査をしたら陽性だった。そんなバナナと思うが、仕方ない。また今年もファイナンシャルプランナー二級の試験が受けられない可能性が高い。恐らくは来年の9月位まで延期をしなければならないだろう。

 

おめでたいのやら、悲しいのやら、何とも複雑な感情だ。午前中に過去問を解いたら良い感じだっただけに、かなり複雑だ。だが、おめでたなので、喜びの方が勝っている。

 

このままオチオチとやってはいられない。何とか貯蓄や投資、ゆくゆくは障害者雇用で雇用される様に頑張ろう。

 

ただし、不安はある。私の様な幼稚な人格で子育てが出来るのか。親と同じことを子どもにしてしまうのではないか。ママ友付き合いをどうしようか。不安は尽きない。これはこれで課題が山積みだ。

 

とりあえずはしばらくは禁酒だ。暑くてもビールは禁止。これはこれでしんどいが、仕方ない。子どもの為ならば仕方ない。頑張ろう。

 

近いうちに産婦人科に行って、検査をしてこよう。

闘病日記~昨日の体調~

昨日は少し出掛けていた。

 

夜中に、異常な胸の張りで目が覚めた。横を向いて寝ていたが、胸の付け根から胸が剥がれ落ちそうになるような痛みを感じた。仰向けで寝ると治る。これはどうしたものだろう。考えられる要因としては、妊娠か高プロラクチン血症。次の診察で聞いてみようと思った。

 

朝起きたら、旦那が猫さんたちのお世話をしていた。最近は朝が起きられなくて、旦那に丸投げ状態になりつつある。本当に申し訳ない。

 

何とか起きて音楽を聞いていた。ka-yuこと松本和之氏のsolid beatを聞いていたが、彼に重い曲を作る才能があったことに驚いた。声もハスキーな感じで、謎のバイクチームに入らなければかなり良い線に行っただろう。とても残念で悔やまれる。

 

音楽を聞いてから少しして、お昼ご飯を食べに外出をした。ラーメンが食べたかったので某ラーメン屋に行ったら、定休日だった。次に江別の某レストランに行ったが、またもや定休日だった。どうしようかと途方にくれたが、前々から気になっていた江別の「作」というラーメン屋に行った。つけ麺を頼んだが、チャーシューがスモークがかけられているのか変わった感じで、タレも魚介のだしが思いきりきいたかなりパンチが強いもののどこか懐かしい感じだった。とても美味しかった。帰り際に、店員さんのお姉さんに「また来ます!」と伝えたら、「つけ麺通ですね!」と言われてしまった。店員さんもとても愛想が良くて良いお店だった。

 

帰宅後は、ゴロゴロしながら勉強をしていた。かなり頭から抜けているものの、モチベーションが続かない。二年間も同じことをしていたのならば、それは飽きるだろう。これは新たな作戦を考えなければならない。早急に作戦会議をしなければな、と思った。宅建は諦めることにした(今の私には、2つの資格を同時に取ることは難しい。)が、ファイナンシャルプランナー二級は9月に受けよう。何とかしてでも、9月には決着をつけよう。これでまた天災なんかが起きたら、数年は諦めよう。

 

勉強をした後で、買い物に出掛けた。天気が良いとかなりテンションが上がる。スーパーで食材を買った後で、ドラッグストアに行った。妊娠検査薬を探していたが、何処にあるのか分からなかった。一生懸命探すと、コンドームやスッポンエキスが置いてある横にあって、何とも言えない気持ちになった。子作りするのか、避妊するのか…。果てはデキた可能性があるから検査という、何ともアレな作りだなぁ、と改めて思った。また会計をする際も、全てのレジの担当者が男性でいたたまれない気持ちになった。事務的に対処をしてくれたのが救いだった。

 

帰宅後にまた胸が張りだしたので休んでいた。これは一体何なのかがよく分からない。胸がゴムボールの様に固くなり、尚且つ「肥大化」している。乳がんという訳では無さそうだが、何かしらの異常はあるだろう。月経の周期もかなり乱れているし、プロラクチンの異常の可能性が高い。昔もこの様なことがあったが、高プロラクチン血症だった。妊娠検査後に一度、産婦人科に行ってきた方が良い気がした。

 

何とか夕飯を準備して食べたが、今度は酷い眠気に襲われた。何とかして寝ようとしたが、猫さんのカガリが走り回っている時にコップを割ってしまった。カガリは破片をおもちゃだと思って遊んだいたので、即取り上げた。異常が無いのを確認して、片付けてから寝た。猫さんの姫にも異常は無かった。じゃじゃ馬娘も考え物だ。

 

★★★

今は何もかもが上手くいかないが、休みつつものんびりやっていこう。札幌に来てから問題続きだが、今は落ち着いて来ている。今がチャンスだとは思うが、ここで張り切るとあまり良いことが無い。少しずつ無理の無い範囲で頑張っていこう。

好きな音楽の話でお茶を濁しておく

昨日は一日中寝ていたら終わってしまっていた。街に長く居ると体力を消耗してしまうのだな、と痛感した。何を書こうにも寝てたとしか言い様が無いので、取りあえずは好きな音楽やらジャンルやらの話でお茶を濁しておこう。

 

ぶっちゃけ私には好きな音楽のジャンルがあまり無い。私は良い音楽は良いから聞くという感じなので、正直な話、好きなジャンルは強いて言えばヘビーメタルやらデスメタルかな、という位で、実際は何でも聞いてしまっている。比較的好きなロックでもパンク、札幌名物だと思われるハードコア、メロコア、ハードロック、ヘビーメタルヴィジュアル系グラムロック、等、特にこれが確信的に好きというものは特に無い。

 

こんなことを私が所属していた某音楽サークルのメジャーデビューした「エモい」が口ぐせの先輩やら、某旧繁華街の一角でライブバーをやっているおっさんから言わせて貰えば「にわか」と怒られてしまいそうだが、実際は私は浮気者なので好きなジャンルが絞れない。更にはロックだけに捕らわれず、ジャズも好きだし、クラブミュージック(特にユーロビートやトランスが世代的にヒットした)、テクノ、R&B、ソウル、ボサノバ、ブルース、クラシック、レゲエ、演歌、歌謡曲等、とりあえずは見境と節操無く聞いたり歌っていたりする。

 

私が曲を好きになる要因としては、①演奏が技術的に凄い②様々な形で私の心に訴えて来る③何となく居心地が良い、のどれかに当てはまるものだ。

 

①で最近私の中でヒットしたのは、川谷絵音氏の作る音楽だ。特にジェニーハイがヒットした。色々な技術の集大成としてとても凄いとただ感心する。川谷絵音氏の作曲能力にも感心するが、各メンバーの演奏技術の高さに感服した。

 

②で最近私の中でヒットしたのは、KORNの一枚目のアルバム「KORN」だ。ヴォーカルの人がかなり不遇な人で、そのフラストレーションを煮詰め過ぎて爆発させたのがあのアルバムだろう。特に最後の曲である「daddy」の後半に、彼がギャン泣きしながら叫んでいる部分があるが、かなり精神的に来る。ちなみにライブでの彼のパフォーマンスは食事中に見るべきものではないし、食欲が失せるものではあるが、怒りや悲しみ等のネガティブな感情はここまで人を駆り立てるのかと思う位には凄い。それとは別で、間接的にも直接的にも、様々な形で訴えて来たのがJanne Da ArcAcid Black Cherryだ。特にAcid Black Cherryは女性が思春期辺りに経験するであろう感情や、女性の性欲を恥ずかしげも無く訴えて来る。これはこれで、ただ感服するしか出来なかった。またどちらも演奏技術が高いからこそ聞きやすい。

 

③で最近(?)私の中でヒットしたのは、エリック・クラプトンだ。特に息子さんが亡くなってからの彼の音楽は、何故か居心地が良い。暖かい何かに包まれている様な、それでいて悲しみや自らへの怒りも感じられる。父性を感じてしまうのだろう。それとは別件で、昔から白鳥英美子氏の「アメイジンググレイス」というアルバムが大好きだ。途中までは心が重くなる位のずっしりとした気持ちにさせられる曲が大半を占めるが、ラスト二曲から少しずつ沸き上がって天に登る部分がとても居心地が良い。白鳥英美子氏の声から母性が感じられ、こちらからも暖かいもので包まれている感覚に陥る。

 

この例を取っても、私は色々なジャンルをうろうろしている。なので、自分が良いと思ったら良い音楽だとかなりふんぞり返って答える。

 

ただ一番ダサいのは、偏見や聞かず嫌いで特定のジャンルやミュージシャンを決め付けて、そのジャンルやミュージシャンをヒステリックに貶すことだ。

 

よくクラシックオタクとメタラーやパンクスがこの様な争いをしているのを見たし、私も(その当時はメタラー)クラシックオタクの母親にメタルをヒステリックに貶されてステレオの電源を切られた事が何回かあった。クラシックオタクは「クラシックこそ高尚で上品!メタルなんて下品でうるさいだけ!!」と決めつけるが、メタラーやパンクスも「クラシックオタクは耳が腐ってんのか?更年期か、老人!メタルまたはパンク聞いて落ち着けよ!良いぜ、俺らの音楽は!!おめぇらのだせぇ音楽なんかくそ喰らえ!!!」というように応戦して、カオスな犬をも食わない酷い喧嘩になる。メタル同士でも派閥があるらしいし、バンドのファン同士で混ぜてはいけないものもあるというのがややこしい。

 

私が思うに、耳に合わないならば合わないで良いし、素直に言えば良いだろう。ただ、頭ごなしに偏見だけで貶して(聞いたにしても、良い部分を認めずに一部だけで判断した上で「盲目的にヒステリックかつ排他的に何もかもを」貶す阿呆もいる)、その音楽が好きな人やそのミュージシャンの人格自体まで攻撃する様は、セクハラかつ酷い暴言なのを承知な上で言わせてもらうが、「更年期か生理か?」と聞きたくなる。私はこの音楽が嫌い。この人は好き。これのどこが問題があるのだろうか。みんな違ってみんな良い。これで十分だと私は思う。わざわざ相手の好きなものを貶すことの何処に生産性があるのだというのだろうか。本当に不毛なので、好みでないのならば「私は好みではないな」で止めておくか黙っとけ。ディスるのは自分のブログかフリースタイルのラップバトルだけにしておけと思う。

 

長々と書いてきたが、正直私は好きなジャンルがほとんど無いのである。みんなちがってみんなカッコいいのである。

 

ちなみに、某ブログ友達の「自分は自分。他人は他人。」というのに同意する。もしみんなが横一列に同じならば、つまらないだろう。その人はその人だからこそ価値がある。それは音楽かて同じ。好きな人もいて、嫌いな人もいる。お互いに嫌な思いをしないレベルで正直になってしまえば良いと思う。

闘病日記~昨日の体調~

昨日は友人と遊んでいた。

 

朝起きて、猫さんたちのお世話をしてからシャワーを浴びた。髪を綺麗に巻いたが、昨日は雨。上手くいかないと落ち込んだ。シャワーから上がって、猫さんのカガリが「何なにー?そんなことよりもウチに構ってよ~!」と大騒ぎし、猫さんの姫が「下僕、早く姫に残りのご飯をよこすにゃん。姫が食べたいって言っているんだからだすにゃん!」と訴えて来るのを対象しつつ化粧をしてから出掛けた。

 

私は雨の為、友人は寝坊の為に待ち合わせに遅れた。集合後にすすきのの炎に行って定食を食べた。久々にここの定食を食べたが、唐揚げが美味しくなった気がした。ここはランチの定食を頼むとドリンクバーが付いてくるが、そこにある生つくねスープが大好きだ。とろろ昆布とにんにくを入れて食べるのが好きだが、昨日は何故かにんにくが大量に入ってしまった。姫のあだ名が「お口クッサーちゃん」だが、私が「お口クッサーちゃん」になってしまった。

 

その後はカラオケに行って歌い通してきた。何故か「やらかし縛り」という縛りで歌っていた。私的には、Janne Da Arcの「ヴァンパイア」からのブリトニー・スピアーズ氏の「ウーマライザー」という流れが気に入った。また、TOKIOの「うわさのキッス」を歌おうとしたが、よく分からなかったので入れなかった。CHAGE and ASKAの「SAY YES」が流れた瞬間に爆笑が起きた。友人に今のka-yu氏の写真を見せたら、「目を細めればフレディ・マーキュリーに見えなくもない」という謎のフォローをされてしまった。

 

カラオケを出た後で、タワーレコードでCDを物色していた。まずはあいみょん氏の「瞬間的シックスセンス」を手に取った。当初の目的はこれだったので、真っ先にゲットした。「瞬間的シックスセンス」をゲットした後で友人と洋楽を物色していたが、かつた後輩に借りパクされたアヴリル・ラヴィーン氏のアルバムを発見した。買おうか迷ったが、友人の「これも運命」という言葉を信じてゲットした。そしてかつてメタラーの知り合いから勧められたKORNを発見した。何を聞けば良いのかよく分からなかったので、タワーレコードお薦めの「KORN」をゲットした。私は基本的にヘビーメタルが好きだが、普段聞くジャンルはあまり限定していないので、クラシックからR&B、ヒップホップ、ジャズ、テクノ等のコーナーも見た。あーでもないこーでもないと話しているうちに時間が経ってしまった。邦楽コーナーで、敢えて何処とは言わないが私のサークルの先輩のバンドを発見して、かなりびっくりしてしまった。そしてライブチケットコーナーを見ていたら、札幌カウンターアクションがまだあるということに衝撃を受けた。建て直したのかもしれないが、先輩いわく色々な意味で凄いライブハウスみたいだった。

 

帰宅後に買ったCDを聞いたが、あいみょん氏はやはり良い。声がかなり好みな上、世界観がかなり好きだ。ポップな曲からの「夢追いベンガル」が何とも言えずに聞き惚れた。最後までほっこりする感じだった。そして何故かその後にKORNを聞いたが、寝る前に聞いたことを後悔した。前知識が無い状態では、音楽全体的に悪夢を見ているような錯覚に陥る。慌ててKORNについて調べたが、ボーカルの人が壮絶な人の様で親近感を覚えた。ただ、12曲目の「daddy」がかなり精神的に堪えた。今ではかなりメロディアスな感じになったらしいが、始めのヘビーな方がかなり好みだった。久々に音楽を聞いて鳥肌が立って、目を見開いたまま固まってしまった。その後はアヴリル・ラヴィーン氏で癒された。

 

とてつもなくヤバいバンドを探し当ててしまったみたいだ。これはヤバい。元々DIR EN GREYが好きだからこそシンクロしてしまったのだろう。昔のジョナサン・デイヴィス氏の画像を見たらとても美青年だったが、これは苦労するわという感じだった。この辺のメタルを漁るのも悪くないと思ってしまった。

猫さんたち日記

昨日は一日中寝ていたので、特に書くことが無い。書くとすれば、川谷絵音氏はやはり天才だ。鬱々としている気分を心地よく癒す音楽を作る。これからも彼を応援しようと思った。

 

今回は猫さんたちの観察日記を書こうと思う。

 

昨日の猫さんたちは大人しかった。恐らく天気が悪かったからだろう。1日の大半を二匹でくっついて過ごしていた。

 


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こうやってくっついたかと思いきや、猫さんのカガリ(茶色い方)が猫さんの姫(三毛の方)にベタベタし過ぎて「しつこいよ!姫はカガリちゃんだけのものじゃないから!」と怒られていた。カガリは懲りることなく姫にちょっかいを出しては怒られていた。

 

カガリは本当に甘えん坊だ。すぐに私の膝の上に乗ってくる。可愛いが、たまに膀胱を揉んでくる。トイレに行きたい時が悲惨だ。更に彼女は抱きついて来る。まるで昔居た猫さんの高田を思い出してしまう。彼も私の体をもみふみしたり、抱きついたりしてきた。懐かしい気分になる。

 


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私の今の家は代々ベンガルノルウェージャンフォレストキャットを飼っているが、この二種類はなかなか相性が良い。シルクの様な毛ざわりのベンガルと、うさぎの様な毛ざわりのノルウェージャンフォレストキャット。これがたまらない。何よりもベンガルは、去年亡くなった猫さんの滑皮さんの影響で離れられなくなってしまった。

 

困ったこともあった。それは、寝ている時に猫さんが押し入れの上からみぞおちに向けてダイブしてくることだ。その度に私は苦しむことになる。特に姫がダイブしてきたら、相当重い。私は猫さんたちの下僕なので、それも嬉しいが苦しい。猫さんたちに踏まれるのはむしろご褒美だ。

 

この二匹が生きている間は、しっかりとお世話をしよう。猫さんたちは女王様。きちんとお仕えさせて頂こう。

努力をせずに足を引っ張る馬鹿と、周りの努力や運の上に胡座をかく奴が嫌い

私は昔から何かしらの習い事や勉強、仕事を長いこと続けてきた。例え結果が出せなくても、その過程で得た物は未だに生き続けている。例えば、母方の祖父のスパルタ式の書道を六年間続け、高校でも授業での書道を続けた結果、何処へ行っても字が褒められる。ただし、ブラック企業では「字が汚い」と罵られたが、他の奴らの方が汚かったのにと思うものの、気にしないことにする。

 

タイトル通り、私は努力が嫌いで周りの足を引っ張る奴らや、運や周りの努力に胡座をかいて何もしないまたは威張り散らす馬鹿が大嫌いだ。私自身が努力しなければ凡人以下のゴミ虫だからこそ、努力をしないと凡人にすらなれない。だが、その努力をことごとく邪魔され、最終的には私と他の人を比較して私を下げることを多々やられた為、物凄くコンプレックスが強い。だからこそそういう奴らが許せない。

 

どちらも違うように見えるが、努力することを放棄して周囲のモチベーションを削いでいるのが共通している。前者は「何も出来ないクソムシな私に合わせてみんなダメになろう」、後者は「何も出来ないけど、見た目が良い(才能のある)私に従って楽をさせて」というゴミどころかウンコよりも役に立たない産業廃棄物以下の有害物質だ。こんな奴らが蔓延った世の中は腐っている。世の中が腐っているからこそ、段々努力をすることが馬鹿らしくなってきた。だからといって努力はやめないが、足を引っ張られても負けないどころか根こそぎそいつらに制裁を加える根性と、そういう「女王蜂」を巣から引きずり出してローヤルゼリーを取った後で踏みつけるだけの若さが欲しい。

 

こういう奴らは今すぐに死んでほしい位に嫌いだ。Janne Da Arcの7-SEVEN-のサビの部分を奴らに課したい位腹が立つ。この曲は浮気をされた男性がぶちギレて女性に暴力を働いた曲だが、それよりも酷い社会的制裁という名の「DV」を加えてやりたい。4、(私が行う社会的制裁について)泣いて許しを請え、と内心思う。

 

精神科作業療法にも、会社にも、家庭にもこういう奴らが居たが、よく殺意を覚えていた。私もかなりのダメ人間だが、そいつらはゴミ以下の汚物だ。こんな奴らに統合失調症を発症させられ、治療を邪魔されるどころか悪化させられたのは腹立たしい。もっと強さがあれば、もっと若さがあれば、もっとパワーがあれば、もっとお金があれば、と何から何までを求めるものの、今の私には何もない。それが悔しい。

 

これらをバネに頑張ろうと思うが、私の場合はやり過ぎてしまう。やり過ぎ厳禁という制限をつけようとしても、なかなか上手くいかない。これも認知の歪みなのだろう。努力をしても満たされないどころか搾取をされてしまう。その焦りが最近の残虐思考に基づいた呪いの言葉へと繋がっていた。努力をしようが、最終的には崩される。この空しさが最近の呪いの正体だと気付いて、とても悲しくなった。

 

だが、努力の過程で得たものは何事にも替えがたい。努力をしてやっとのことで手に入れた景色は、どの景色よりも素晴らしかった。私の様なうだつの上がらない無能でも物事を達成出来たという充実感等で満たされる。努力をしなかった人間は決して手に入れることの出来ない風景を私は見ているという優越感と、その風景の素晴らしさを私は忘れない。そして、そこで得た知識や経験、スキル等は色褪せることなく私の心に生きている。また犠牲になった数々のものに関しても、そのものがあった(居た)お陰で戦えたというのがあり、彼ら自体は犠牲になったが、存在自体は心の中で生きているし、私は彼らを忘れない。

 

つい最近までは無いものばかりを数えて居たが、今はあるものを数えている。私には過去も現在も未来も、努力をして得るものと、失ったものが残してくれたものが生きている。これだけで十分なのかもしれないが、やはり努力をしないだけならばまだしも、害を与えてくる人間には腹が立つ。こいつらに復讐しつつ、周りに感謝しつつ、頑張っていこう。