たまたま見てたまとめサイトで、メサイアコンプレックスをこじらせたが為に離婚された妻の話を読んだ。
メサイアコンプレックスとは、他人を救い、称賛を集めることに依存している人間を指す言葉らしい。その人たちの特徴としては、自分や周囲を犠牲にしてまで他人を救おうとする。
私も昔はこの気があったが、周囲を犠牲にする程まではいかなかった。
このコンプレックスの根本には、自尊心の低下があり、自信の無さを埋める為に人に尽くすというものらしい。人間は欲深い為、尽くして貰うことを当たり前と思って、要求がはね上がる。私もそれをたくさん目にしてきた。結局マッチポンプになってしまう。
今は、かつてフレネミーとパワハラ上司たちによってボロボロに壊された自尊心が回復し、そういうことが無くなったが、その気持ちは分かる。自尊心がボロボロだった当時、更に過食症になって、メイクさえすれば綺麗になれる顔が、修整不可能な位まで太って醜くなっていき、周囲の反応もガラリと変わってしまい、より自尊心が破壊された。
だからこそ、いい人になることで自尊心を保つ以外無かった。だがそのことで、たくさんのものを失った。
今はダイエットも成功し、お金も少しずつ増えてきて自尊心をある程度取り戻したが、人間不信は拭えない。見た目やお金の使い方でこんなにも人の態度が変わるのか、と人が信じられず、人と接することが怖くなった。
メサイアコンプレックスの人の気持ちはよく分かるし、それでしか自尊心を保てない部分に同情する。ただ、マザー・テレサがこのようなことを言っていた。
「自国の貧しい人間を救えない人間に、他国の貧しい人間は救えない」
つまりは自分や周囲を大切に出来ない人間には、他の人を救えない。周囲すら救えない人間に他人を救うことは出来ないだろう。私は冷血かつ自己中心的な人間だから言うが、自分や周囲を犠牲にする優しさは本当の優しさではないと思う。
私以外にもそういう人間をたくさん見たが、いつもないがしろにされる人間からしてみれば、メサイアコンプレックスの人間の善意は偽善にしか見えない。誰かの犠牲の上に成り立つ幸せは長くは続かないのだな、と学んだ。自分も気を付けよう。