統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

炎上覚悟で「五歳児虐待事件」の私の見解を書く

ニュースのソースの貼り方やら何やらは私はよく分からないので割愛するが、最近あった五歳の女の子が「ごめんなさい」というメモを残して虐待死した事件について書きたいと思う。

 

まず初めに注釈として書いておくが、私はかつては被虐待児だった。私の母は育児ノイローゼでおかしくなったが為に、何度か私は死にかけた。もし今の時代ならば、児童相談所が飛んでくるレベルだった。弟がいるがその弟は可愛がられていたが、私は常にボロボロで何度も自殺未遂を起こしたり、アームカットを繰り返したり、非行を繰り返していた。ここまでが前提として頭に入れた状態でこの記事を読んでいただきたい。

 

この女の子はとても不憫だ。五歳の子どもならば親が全て。親が安定しているならば、この様なメモを残すことも無かった。親の顔色を見つつも、きちんとした文章できちんとした自己表示が出来る位賢い子だと思った。そして何よりも私のような反骨精神で親に立ち向かって親を激化させる馬鹿ではなく、大人しく従いつつも何処が悪いのかと教えを乞う賢さと優しさ、謙虚さがある子だと思った。そんな賢い子の未来を奪ったことは許されるものではない。

 

ネットを見ていたら、「親にもケアを」だのと理想論で物を言う輩を散見したが、私はこれに関しては「グレーゾーン」という見解を貫きたい。

 

もし仮にその親がただの育児ノイローゼならば、ケアが終了した段階で自分のしたことの罪の大きさに気付くだろう。そして限りなく自分を責めるだろう。私は残酷な人間なのでこういう事を言うが、自分の罪の大きさを知った時の苦しみは本当に地獄だ。それは私が統合失調症の陽性症状で散々色々なことをやらかし、それによって他人に迷惑をかけたり、沢山の人を傷つけてきた。その罪の重さに押し潰されそうになって、何度も死にたくなった。だが、猫さんたちや旦那、友人たちがいるので死ねない。死にたくても死ねないというのは、本当に地獄だと思った。だからこそこの苦しみを味あわせてどう生きるかが、この親の因果応報だと私は思った。

 

ただし、人格…というよりも脳に何らかの障害があり、元々「良心」というものが無い人間がいる。そういう人間に関しては反省することもなく、酷い時はそのことをネタに同情を誘い、より周囲に迷惑をかけたり自己顕示欲を満たす道具にしてよりその子を死後も苦しめるだろう。こういう人間に関しては、こういう事件が無ければ「治療」をして人に迷惑をかけないようにするのも手だが、この手の人種で大きな罪を犯した人間はもはや障害なので、治らないだろう。分かりにくくすることは出来る可能性もあるが、大体は年々酷くなっていく。年を取れば見た目が「劣化」したり、その「幼稚さ」に周りが着いていけなくなり、孤立してより酷い迷惑をかけるだろう。こういう人間は正直消えた方が良い。

 

尚、もし親が後者の人間ならば、精神障害者への偏見・差別の元になるので、しかるべき処罰を課して欲しい。こういう連中がいるから精神障害者全体が変な目で見られ、「甘え病」だの「幽閉しておけ」だのとまともにリハビリをして社会復帰を目指して、健常者と同じ様にはいかないだろうが、ほぼ健常者と似たようなものとして社会生活を送って行こうとしている精神障害者の足枷になる。私としても、こういう奴等は本当に迷惑だから消えて頂きたい。反省する訳でもなければ、むしろそのことを利用して好き勝手に振る舞う様には殺意を抱く。こういう人種によく絡まれて足を引っ張られる私としては、こういうどうしようもない奴を生かしておく必要があるのかと思うのが、嘘偽りの無い本音である。確かにその様な障害が出てしまう環境には同情と哀れみを持つものの、それはそれ、これはこれだと思った。

 

司法等には、むしろこの親に対してしかるべき処罰を課して欲しい。決して障害があるから無罪という判決を下さず、きちんとこの親に自分がしたことの罪の重さを司法でもって思い知らせて欲しい。そしてこの親が自分のしたことの罪の大きさに気付き、反省出来なくとも自責の念や社会的な制裁により長い間苦しむことを望む。それが無理な様ならば、「極刑」もやむを得ないだろう。

 

下手すると私が一番残酷かもしれないが、私は少なくとも虐待なんて無くなればいいし、虐待が無ければ私も違う人生を歩めたのではないかという後悔と恨みがあるので、より強くそれを思う。ここまで深い恨みが無ければ、こんな残酷なことは思わないだろう。くどいが、本音は「地獄の苦しみを何十年も味わって、苦しみながら死ね」と思う。それが叶わないならば、他人の迷惑になるから消えて欲しいと思う。