統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

獣医の孫、および元医療系の勉強をしていた身として思うこと

突然だが、私が尊敬し、亡くなった時にショックが大きかった母方の祖父は獣医だった。本来は大動物や家畜を診ていたが、犬猫小動物に診療対象を変えて、安い治療費でたくさんの動物を診てきた。私も幼少期に手術に立ち会ったり、病原菌を顕微鏡で見たり、入院している犬さん猫さんのお世話をしていた。たくさんの生誕や死を見てきたが、生命というのは実に神秘的だと思った。ただし、私は絶望的に手先が不器用なので、獣医にはならなかったが。

 

ドクターXやブラックジャックの影響で、医療の現場は治してなんぼという風潮が出来上がっている。神の手と呼ばれる手で手術し、完治させるというのが主流になっている。延命する為に様々な医療関係者が全力を尽くしている。その為、人間のみならずペットまで長生きする時代に突入している。食事もかなり改善され、良い薬が出来、医療技術まで向上している。昔とは比べようが無い位「良い医療」が受けられる様になっている。

 

だが、その一方で、患者自身が苦しみのあまりに「死にたい」と訴えても、家族の意向や医療関係者の都合で延命治療という「苦しみ」を与え続けるということも起きている。家族は年金や年金保険の為、医療関係者は医療実績の為に患者自身の苦しみを差し置いて、エゴを押し付けることがよくあると聞いた。この話を聞いて、基本的人権とは何だろうか、と考えてしまった。

 

今、私の家には病人と病猫さんがいる。病気になった身としては、闘病は物凄く苦しいものだと思う。事実私は何度も「死」が頭をかすめた。多発性骨髄腫を発症してしまった猫さんの滑皮さんも同じだろう。何度も苦しむことを考えれば、死にたくなっても仕方ないだろう。死んだ方がマシだ、楽にして欲しいと思うのも無理は無い。段々と出来ることが少なくなっていく。生物らしさが失われ、記憶すら怪しくなっていく。精神も崩壊し、苦しみばかりが募っていく絶望は、恐らく闘病したことが無い人には想像がつかないだろう。

 

医療関係者には、ブラックジャックとドクターキリコの側面を抱えている。普通の病院がブラックジャックならば、ホスピスがドクターキリコだろう。生と死。両方を見つめつつ、インフォームドコンセントと呼ばれる、患者側の意思を尊重し、生物としての尊厳を失わせない様に配慮しなければならない。QOLと呼ばれる、人生の質の向上の為に、出来ることをしていくのが医学の基礎だ。その生物にとって、何がベストなのか。それを見極めるのが医療関係者の仕事であり、決して治すことだけが答えではない。少なくとも不味いご飯を食べて、点滴でお風呂にも入れなくて、喉が乾いても水が飲めなくて、体や脳の自由が利かなくて苦しんでまで生きたいのかというと、個人の価値観にもよるが、大体の人は死を選ぶと思った。

 

それを考えると、滑皮さんの相棒・高田には可哀想なことをした。彼は死を覚悟していたが為に、苦しみつつ延命させて、最期は苦しんで逝ってしまった。結局は私のエゴで彼を苦しめてしまった。悔やんでも悔やみきれない。心臓の病気で苦しんでから、安楽死をさせてあげれば良かったと物凄く後悔している。自分の無能さを呪った。

 

今現在、滑皮さんと私は食欲がある。食欲があるということは、生きたいという証だ。もっと美味しいものを食べたい。もっと好きな人と一緒に居たい。この気持ちで生きている。この気持ちが無くなった時は、滑皮さんに対しては安楽死も視野に入れよう。どの選択が滑皮さんにとって良いかは分からないが、ベストを尽くそうと思った。私に関しては安楽死は難しいが、意識がある限りは死なない様にしようと思った。