統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

終わりが見えない

試験は中止。被災。猫さんの滑皮さんは持ち直したとはいえ、まだ予断を許さない。どんどんと頭が呆けていく。体も何かに縛られた様に動かない。何故こうも何かと重なってしまうのだろうか。ここで具合が悪くなって潰れたら、私のことが嫌いで不幸を望む奴らが喜び、また馬鹿親の「良い親キャンペーン」の被害を被ってしまう。悔しい。また孤独に戦っていくしか無いのだろうか。

 

スピリチュアル論者は私の現状を「前世の因果」と言うだろう。もし前世の因果ならば、私が前世で何をして、どう悪いのかを証明して欲しい。そして宇宙の力やら神様やらは、そんなに私のことが嫌いなのかと問いただしいたい。奴らは恐らく、「信仰が足りないから地獄に行く。救済されたいなら、お布施を寄越せ」と言ってくるだろうが、こんな目に遭わせてお布施を払わなければ救済して貰えない様な神ならば、はなっから当てにしない。この現況は奴らに言わせてもらえば「試練」なのかもしれないが、ここまで苦しい試練はもはやいじめだ。悪いが、いじめっこのことなんぞ信じないし、一銭も払う気がない。そんなお金があったら、滑皮さんに使いたいし、震源地の人々に寄付する方がよっぽど有意義だ。馬鹿馬鹿しい。

 

何をしても終わりが見えない。このままこの状態が続くのならば、私は狂ってしまうだろう。

 

かつて入院していた病棟や作業療法で末期の統合失調症の患者を見たが、暴言を覚悟の元で書くと、あれは人ではない。理性という理性がなく、言葉が通じない。そしてリミッターが外れているので、力の加減も分からない。当然ながら人や自分を客観視出来ないので、何が異常で何が異常じゃないか分からない。そういった奴らの身勝手をひたすら我慢したりいなしたりしたが、本気で無理だ。そもそも患者に相手をさせること自体がアレだが、周囲も本人も辛い。

 

昨日旦那に、「もし寛解して薬を止めて三回程酷く悪化したら、安楽死をさせて欲しい」と頼んだ。旦那は足掻くと言っていたが、私の本心としては、本当は元気に天寿を全うしたいが、苦しんでまで長生きしたくないというものだ。周囲に迷惑をかけて、被害妄想によって自分だけならばまだしも、他人を傷付ける魔物になってまで生きたいとは思わない。せめて、人としての尊厳のあるうちに死なせて欲しい。少なくとも理性を失った「人ではない何か」になる前に死にたいと思った。これは自殺では決してない。「尊厳死」だ。残された人のことを考えろ、という綺麗事を宣う人もいるが、私としては、もし「人ではない何か」になったら、自分よりも周囲が苦しい。爆発する被害妄想により他害をしてしまえば、被害者とそのご家族に迷惑をかけてしまう。仮に精神障害によって減刑されても、私の心には「他人を傷付けた」という罪悪感ぎ残り、生きていても苦しいだけだ。そして何よりも自分の周囲が自分の犯した罪によって苦しむ様を見たくない。

 

そうならない様に、しっかりと薬を飲んで症状をコントロールしよう。今は色々なことがあって疲れているだけだと信じたい。