統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

辛いけど、やるしかない。もう戻れない。

昨日はなかなか眠れなかった上に、かなり情緒不安定になってしまった。幸いその不安定な姿を医療従事者に見られていないが、ずっと涙が止まらなかった。

 

ふとネットを見ていたら、「人の人生は最期に精算され、精算しきれなかった悪事の影響は子や孫に引き継がれる」という恐ろしい一文を見てしまったと同時に、これはあり得る話かもしれないと少し納得してしまった。

 

私の母親は典型的ないじめっこだ。私が見ただけでもかなり酷いママ友いじめをしていて、あろうことかボスママだった。無駄に美人で目だちたがり屋なので、私と弟が小学校に入学してからはずっとPTA会長として学校を私物化して、気に入らないお母さんを執拗にいじめて子どもである私にすらいじめに加担させようとしてきたこともあった。美人のせいか崇拝者も何人も居たので、ますます助長して、家庭でも学校でも暴君と化していた。そして自分に歯向かう者は娘であっても精神がボロボロになるまで攻撃した。恐らく私が産まれる前からいじめ常習犯だったのだろう。正直、母親のいじめの様は娘の私から見ても度が超えていた。影で何人も母親の事を恨んでいる人がいて、その子どもに私はよく人格否定をされていたが、当時は理不尽に思っていたものの、今となっては言われて当然だし、あの母親の娘である私が恨まれるのも必然だなと思えて、その母子には本当に申し訳ない。

 

また父親も、女性を見た目で判断しては不美人にかなり酷い態度を取っていたことが分かった。父親的には不美人は無価値だと思っていて、不美人かつ太っていればどんな暴言を吐いても許されると思っている部分があり、昔から数々の女性に暴言を笑いながら吐いて不必要に他の女性を傷付けてきただろう。また、顔は良くなくても良い体をしている女性も弄んで捨てていたことも分かった。無駄にハンサムだったからこそ女性をたくさん泣かせて、他の同類のレベルの低い男友達たちと女性の品評会を開いて下世話な話をして盛り上がっていたという武勇伝も聞いた。社会人になってからも、明らかに父親に対して好意を抱いている女性からの恋文が書かれた巨大な板チョコを目立つ所に置いて母親をイラつかせたり、私が習っていたピアノの先生のルックスをべた褒めして母親を発狂させたりしていた為、仕事は出来るが馬鹿なチャラ男という印象しかない。

 

この二人から産まれた為、この二人の業を精算した余りを引き継ぐことになるのかと思うとうんざりする。先ほどのネットの一文に関しては、薄々気付いていたことだ。だからこそ私は子どもを産むことを34歳迄躊躇していた。こんな精算しても負の遺産だらけの夫婦の業を引き継ぐのは私だけで良いと思ったからこそ、自分の代でこの忌々しい血筋は終わりにしようとすら思っていた。だが、自分を信じてここまで着いてきた旦那にはこの決断はかなり残酷だったらしく、かなり途方に暮れてしまった。その様子を見て胸が傷んだのと、周りにいた子どもたちがことごとく良い子たちで、子どもとふれ合うと癒されるのを感じて、子どもを産む決断をした。

 

産まれた娘はとても可愛くて、母親はなぜあんなに執拗に私に対して酷い扱いをしたのか理解に苦しむと同時に、自分の両親がいかに残酷だったかが分かった。ただ、それと引き換えに夫婦仲が壊滅的に悪くなり、それによって情緒不安定になることが多くて娘に申し訳ない。

 

そして旦那が欲が出たのか避妊を嫌がる様になり、その結果私の本位ではない形で二人目の子どもが出来てしまった。始めはどうしようか悩んだし、それと同時に旦那の女性問題が発覚して絶望しつつも日々の家事育児を無理にやり続けた結果、切迫早産で今現在も入院中だ。今ではお腹の中の赤ちゃんに物凄く愛情が沸いて、早く会いたいけど出産が怖い。検査の度に赤ちゃんは無事かと冷や冷やするが、今のところはすくすくと大きく育っているみたいでほっとしている。

 

だが、昨日になってからふと思う事がある。親がした酷いことは恐らく精算しきれないだろう。そのツケが私に回ってくるならばまだしも、娘や赤ちゃんに来たら辛い。

 

私は今まで、本当にろくな人生を歩んでいなかった。最悪は殺されかけることもあったくらいの酷い目に何度も遭ったり、犯罪の被害であちこちを負傷することがあっても、世間体を気にして泣き寝入りさせられ、周囲からは…果ては親でさえも、犯罪の被害に遭うどんくさくて不潔な子と本人はからかっているつもりでもこちらは心をえぐられていく言葉を吐かれては耐えることを繰り返す人生だった。もしこの人生と似たような人生を子どもたちに歩ませるのであれば、本当に申し訳無いしどう償えばいいか分からない位悲しい。

 

そんな人生でも何度も前を向こうと目標と計画を緻密に練って様々なことにチャレンジしてみたものの、ある時は成功したものの周りから「成功したのだから我々にも何かを還元して奉公しろ」とありとあらゆるものを搾取され、ある時はミラクルが重なって何も出来ず、そもそも力を出す機会さえ奪われて無駄な労力だけになってしまったり、ある時は目標を達成したにも関わらず、他人から「努力が足りない」「その結果で満足するのは甘え」「○○に比べれば生ぬるい。その位で喜んでるお前の負けだ」だのと執拗に断定口調で言われて自信喪失してしまったりした。一事が万事こんな感じで、目標を立てて何かをすることが億劫になってしまった。

 

努力をすれば搾取され、もっとやれと高い理想を押し付けられて、潰れればゴミ同然に捨てられる。捨てられた後は、それ見たことかと言わんばかりにこちらが何も言わないことを良いことに死体蹴りのごとく再起不能になるまで叩かれる。こんなことばかりで疲れてきた。他人のおもちゃになるのは嫌なのに、親からは条件付きでしか与えられなかった愛情を求めて同じことを繰り返しては絶望することに疲れはててきた。

 

本当は出産は怖いし、陣痛がトラウマになっている部分がある。また、二人目の方が後陣痛が痛いと聞いているし、産後の貧血でまた育児に支障が出るのも怖いし、娘は小柄だから産みやすかったが、今回の赤ちゃんはビッグサイズなので苦しむことが分かった為、かなり怖い。何よりも出産の時のトラブルで赤ちゃんが五体満足で産まれなかったら申し訳ないし、悲しい。でももう逃げられない。ここまで来たら、産むしかない。

 

ただ、出産した後のことは実はあまり考えていない。下手に目標を定めても、自分との約束が守れなくて自信を失ったり、周りから要らぬことを言われてメンタルの体調を崩して達成出来なくて叱責されて自信を失うことが怖い。また、成功したところで搾取されることを考えたら、二の足を踏んでしまう。

 

私は少し真面目過ぎたのかもしれない。だからこそ、少しはふわふわと生きてみても良い様な気がしてきた。ふわふわと生きつつ、親の業が子どもたちに行かない様にただひたすら不幸なタスクをこなして徳を積んで、子どもたちにはあいつらの悪事のツケを払わせない様にするのみだ。そして今度こそ自分自身も救済しよう。それでなければ、かつての不遇だった頃の自分を助けられず、いつまでも過去に捕らわれて苦しむことになる。少しは肩の荷を下ろして楽をしよう。