統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

闘病日記~昨日の体調…さようなら、そしてありがとう~

昨日は滑皮さんを火葬してきた。

 

朝一時半頃、目が覚めた。猫さんの滑皮さんを介護していた時に様子を見ていた時間帯だ。遺体は枕元にあるのに、心は窓際にある。そんな感じだ。よく滑可愛がろうさんは窓際で日向ぼっこをしていたので、その感覚でつい目が覚めて彼の名前を呼んでしまう。

 

二度寝をしたら、今度は五時半頃だった。この時間帯に起きて目を覚まして、滑皮さんに投薬をしていた。本当は投薬は嫌だっただろうに。上手く投薬出来なかった自分が憎い。猫さんの姫のアシストで飲んでいた感じだが、その後のおやつタイムで喜んでいた姿を思い出して涙が出た。

 

七時頃に姫に餌をあげた。今までは二匹分の餌を与えていて、皿に餌がこんもりと乗っていたが、今はその半分だ。姫はいつもの習慣で、滑皮さんが食べているのとは逆の方の器で食べていた。もう姫の食事を邪魔する彼はいない。姫は滑皮さんの気配を察してキョロキョロしていた。

 

それからはずっと旦那と滑皮さんの遺体を撫でたり、いつものキスをしたりしていた。姫が何度も近付いては離れるを繰り返して、鼻先を彼の鼻先にくっつけて、最後の挨拶をしていた。彼女はもう彼がこの世にいないということが分かっている。だからこそあまり近付かなかったのだろう。彼女の表情からは悲しみと安堵が混じった複雑な感情を読み取った。彼の死に際を看取った彼女だからこそ、あまり悲しんでいる姿を見せたくなかったのだろう。

 

十一時頃に、旦那のスマホに、滑皮さんを最後に担当した獣医師から連絡があった。恐らくは滑皮さんの血が脳に詰まってしまったのだろうと推測し、苦しませて逝かせてしまったことを後悔していると言われた。最後に優しい先生に当たって本当に良かった。先生は滑皮さんが亡くなる当日に動物病院に連れていった際に、具合が悪い中必死で出てきてくれて、ゴホゴホと咳をしながらも診てくれた。本当に感謝しかない。

 

十二時位に、旦那を滑皮さんの側に置いておいて、私はボストンベイクにパンを買いにいった。この道を急いで歩いて、滑皮さんの流動食やウェットフードを買いにいった。途中で涙が出そうになったが、頑張って耐えた。

 

パンを買って食べてから、火葬場に行くまでひたすら滑皮さんと姫の側にいた。姫は何事も無かったかのような顔で寝ていたが、悲しそうな表情をしていた。

 

4時に家を出て、火葬場に向かった。出る前に、姫に最後の別れをさせたが、姫は必死に滑皮さんの匂いを嗅いでいた。その姿に涙が出そうになった。

 

火葬場で滑皮さんと最後の別れをした。彼の頭の周りにたくさんの花を散らした。彼が昔、赤い首輪を着けていたが、首輪の跡に赤い花を置いた。彼の感触を忘れない様に、たくさん撫でてあげた。

 

滑皮さんを火葬している間、タバコを吸いながら煙を見ていた。ふと彼が死に際に発していた声が聞こえた。本当に辛かったんだな。今は辛さから解放されて、相棒の高田と走り回ったり、ジャンプしたり、闘病中は閉じれなかった目を閉じて寝ていたり、人の太ももをほりほりしているのかな、と想像したら、涙が止まらなかった。

 

彼の火葬が終わり骨を見たら、綺麗に残っていた。いつも返事をしていた尻尾も、ポンポンされて喜んでいた腰の骨も、喉仏も、ウルトラマンの様に尖った頭蓋骨も、全て綺麗に残っていた。葬儀屋さんもびっくりする位に綺麗に骨が残っていた。足が長かったので、大きめの骨壺に入れたが、ゆったりと入る感じに収まった。

 

旦那に対して抱いていたドロドロとした感情も、私を悩ませるドロドロとしたおどろおどろしい感情も、全て滑皮さんがあの世に持っていってしまった。滑皮さんが愛したのは旦那だけではなく、私たち夫婦やその友人たちだ。だからこそ何があっても見捨ててはいけない。少なくとも彼が愛した人たちに悪い人はいない。

 

滑皮さんが遺骨になってから、改めて彼がもう居ないことの実感を覚えた。泣きすぎてもう涙が出ない。姫は悲しみを誤魔化す様に、ご飯をガツガツと食べていた。

 

夜、微睡んでいる時に幻覚を見た。滑皮さんが目を瞑って丸くなって寝ている姿が見え、周りには花が咲き、小川が流れて大きな木がある。そして側には高田とクロベエがいた。

 

さようなら、滑皮さん。

ありがとう、滑皮さん。

君がこの家に来てくれて嬉しかったよ。

 

高田の置き土産だと思われる姫を、君の分まで長生きさせるね。

だからお空から見守っててね。

特に姫が太りすぎない様によく見張っててね。

 

愛してるよ、滑皮さん。

 

何故滑皮さんや高田の様に、人の気持ちが分かる優しい子が早く死に、人の気持ちが分からない傍若無人なクソ野郎が長く生きるのだろうか。これが世の摂理というのならば、あんまりだ。最近の事件を見てても、自業自得で亡くなったものや、介護の末の殺人を除いて、良い子ばかりが死に、人の心も苦しみも分からない死んだ方が良い人間ばかりがのうのうと生きている。

 

ブラック企業の経営者やパワハラ上司、人を苦しめるどころか古傷を抉って傷口を広げて喜んでいるキ○ガイ、「悪気なく」人を傷付けては笑っている阿呆、お金や名誉の為に生き物を「虐待」し続けるクソども。こいつらがさっさと死なずに、善良なものが早く亡くなっていく。こうして生きにくい世の中になっていく。

 

優しさや暖かさをくれた歴代の猫さんたちには、ただ感謝しかない。本当にありがとう。永遠に愛してるよ。また会おうね。

滑皮さんが煙になっていく


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滑皮さんはあと15日で八歳になる予定だった。彼を奪ったのは多発性骨髄腫。最期は突然「プオー!」という悲鳴を上げながら走り出してそのまま倒れてしまった。旦那の心臓マッサージも空しく、虹の橋へ旅立ってしまった。

 

今は火葬場で滑皮さんを骨にしているが、涙が止まらない。

 

滑皮さんが来なければ、私たちは別れていただろう。そして私はリハビリを放棄して、いわゆる「患者様」になっていた。滑皮さんが熱い視線を向けてくれなければ、私は素通りしていただろう。彼が来てから家庭が明るくなった。彼がいなければ、私の家ではない気がする。

 

彼は私の心の炎であり、親友であり、息子。かけがえの無いものだ。それを亡くしてしまい、何を支えに生きれば良いのだろうか。

 

死後硬直と瞳の濁りで彼の死を悟った。彼は私に大切なものを思い出させてくれた。それは…。

 

かつて愛して見送ったクロベエとの記憶。よく滑皮さんがピンチになると、夢に出てきた。そしてクロベエが滑皮さんを守ってくれていた。滑皮さんとの日々は、クロベエが私に長い間忘れられていた「無償の愛」というものを思い出させてくれた。滑皮さんはクロベエの差し金だろうと思った。

 

素敵な日々をありがとう、滑皮さん。

君が教えてくれたものは忘れない。

君は私の心の中で生きている。

天国でたくさん目を閉じて寝たり、相棒の高田と走り回ってね。

ずっと愛してるよ。

滑皮さんが亡くなりました

今日の8時15分頃、滑皮さんが突然雄叫びをあげて苦しみ出してから心臓が止まってしまった。突然のことなので、なかなか気持ちの整理がつかない。ただ、やれることはやった。

 

彼は彼なりに闘病を頑張った。だからこそ、私に対して闘病する大変さや強さを教えられた。彼の頑張りを無駄にしないためにも、私も腐らずに闘病を頑張ろう。

 

寝る前なので、手短に報告。

複雑な心境

今日滑皮さんの病院に行ったら、かなり体調が悪いみたいだ。

 

昨日から水は飲むものの全く食欲が無く、呼吸も苦しそうだ。貧血が進み、粗相をするようになってしまった。死に場所を探す様に暗がりに居るようになった。

 

何故こんなに辛い病気になってしまったのだろう。彼は健康ならば、もう少し一緒に居たかっただろうに。愛している旦那や姫に甘えたかっただろうに。とても無念だ。あれだけ嫌がっていた投薬も、もう抵抗をしなくなった。抵抗する力も無いのだろう。

 

明日、今後をどうするかを先生と話に行く。このまま治療を続けるか、それとも安楽死をするか。

 

滑皮さんはここまで物凄く頑張った。癌を患った猫さんとしてはかなり頑張って治療をした。だからこそ、楽にしてあげたい気もする。どんな決断をしても、後悔するだろう。だからこそ彼には最良の選択をしてあげたい。

 

癌の闘病は辛いと聞く。闘病ブログを読んだが、想像を絶する辛さだと書かれていた。そしてそれを支える周囲も相当辛いだろう。弱っていくのを感じる辛さは多少は私も理解出来る。だからこそ最期は安らかに逝きたいだろう。スキルス癌を患った母方の祖父が「もう楽になりたい。おばあちゃんの元に行きたい。」と言っていたのを覚えている。その位癌は辛い。

 

滑皮さんをどうするかは今夜の様子を見て決めよう。そして双方に後悔の無い様にしよう。

 

それと同時に、自分の小ささや未熟な部分が見えた。あっという間に日常は崩れ去ってしまう。普通でいられることがいかに幸せかを分かっていなかった。目先の不幸にばかり気を取られて、遠くや近くの幸せが見えなかった。こうならなければ何も気づけなかった。もっと早くに気付いていれば、もっと滑皮さんや高田、姫を幸せに出来たのではないかと後悔してもしきれない。

 

私は高田の死から何も学べていなかったのか。滑皮さんがこうなるまで何も分からなかったのか。本当に私は馬鹿だ。自分の頭の悪さが悔やまれる。

 

もう後は滑皮さんの意思に委ねるしかない。彼のやりたいようにやらせてあげよう。

滑皮さん闘病日記

昨日からあまり餌を食べなくなった。腹水が溜まっているのか、粗相をするようになった。段々と弱っていく。あれだけ好きだったにゃんにゃんカロリーもあまり舐めなくなった。

 

何も出来ずに、ただ衰弱していくのを見ているだけというのが悔しい。ただ衰弱していき、苦しそうにしている滑皮さんを見るのが辛い。

 

腹水を抜けば楽になるのだろうか。それとももうダメなのだろうか。もうダメになったら、最悪安楽死も考えなくてはならない。出来れば、旦那の膝の上で撫でられながら逝かせてあげればな、と思うが、難しいのだろうか。どうにか楽にしてあげたい。あまり苦しまずに楽が出来れば、それに越したことはない。出来れば姫もいる所で逝かせてあげたいが、それは叶わないのだろうか。

 

滑皮さんも姫も優しい子だ。こんな優しい子がこんな目に遭うのは酷すぎる。本当に神なんているのだろうか。もし居るのならば、何故こんなことをするのだろうか。滑皮さんが何をしたんだ。もし私が何かをしたのならば、私に直接罰を与えれば良いのに。

 

滑皮さんは言葉が話せない。だからこそ何が辛くてどうしたいのかが分からない。何とか探って行こう。

闘病日記~昨日の体調~

昨日は少し出掛けた。

 

朝起きて少ししてから、猫さんの滑皮さんに投薬をした。滑皮さんにはもう抵抗する力も無い。楽な様な、残念な様な、寂しい様な気持ちになった。もう私から逃げる気力も無いのだろう。日に日に弱っていく彼が悲しい。

 

猫さんたちのお世話をして少ししてから、掃除をした。介護や病院でバタバタしていたので、なかなか掃除が出来なかった。その為、埃がたくさん取れた。ハウスダストアレルギーの私と猫さんの姫が大変なことになるのも頷ける。私は人間なのでどうとでもなるが、猫さんである姫は私しか守れないので可哀想なことをしてしまった。

 

掃除が終わって少ししてから、母が来た。どうやらお米のお裾分けをしに来たらしい。

 

母は滑皮さんを見て「持っても年内」と言い放った。獣医でもなく、ただの獣医の娘という立場でよく分かるなとイラっとした。素人の私でもこのまま治療が失敗すれば長くないことは分かる。だが、僅かな希望に向けて努力をしている私や滑皮さんに対してその様な物の言いはよろしくない。また、酸素室のパンフレットを見たが、「高いけど、どうせ2ヶ月位しか使わないか」と言い放った。なぜそんなに滑皮さんを殺したいんだ。物凄くやりきれない気持ちになった。

 

母が帰った後、しばらくぼーっとしていた。何も言えない自分がただひたすら悔しかった。何故私は母を相手にすると何も言えないのだろうか。ただひたすら自分が情けなかった。そしてこんな親と血が繋がっているというのがやるせない。

 

ぼーっとしていてはアレなので、出産した友人に出産祝いを送ることにした。「滑皮さんが一番愛しているのは私ではなく旦那」と言い聞かせながら歩いた。

 

プレイガイドでギフト券を買って包装して貰ってから、郵便書留で送った。本当は手紙位は入れようと思ったが、滑皮さんのことでいっぱいいっぱいでそれどころではなかった。友人には後でメールで弁明しようと思った。

 

そのままミスドでドーナツを買って帰宅した。帰り道、母の言葉がリフレインして泣きそうになった。何もかも分かっている。だが、心が受け止められないんだ。そして諦めたら終わってしまう気がした。滑皮さんが生きたい分だけ生かせて、もしダメになったら受け入れた上で、せめて旦那の膝の上で逝かせてあげよう。そう思うものの、心が追い付かない。

 

その後はずっと不安定になっていた。この辛い気持ちを何処に吐き出したらいい?誰かに話したら号泣して困らせてしまいそうだ。

 

夕方頃、酸素室が届いた。組み立ててから滑皮さんを入れてみると、ビビっていた。ある程度入れてから出して、今度は姫を入れてみた。すると姫は寛いでいた。姫を出すと、猛ダッシュしていた。酸素室は良いみたいだ。

 

 

★★★

命の時間は限られている。愛されたものは幸せに、悪事を働いて多くの者を傷付けたものは辛く死んでいく。それは葬儀でも現れる。

 

今回の母の発言では何かと考えさせられた。

 

母方の祖父は慕われていた為、自宅葬であったにも関わらず訪問者が多かった。喪主でも無いのに全ての訪問者の対応を訳を分からずして引き受けていたが、その間、母は母の姉である叔母と遊んでいた。そして悲しんでいる私の目の前で醜い遺産争いを目をギラギラさせて繰り広げていた。この事を全て知っているのは私だけ。祖父を尊敬し、祖父の死に際に夜の仕事をしていた自分を憎んでいたにも関わらず、その様な光景を目の当たりにして本当に辛かった。

 

また母方の祖母の葬儀でも、母姉妹は遺産について目をギラギラさせて祖父に詰め寄っていた。正直祖母については、かつて私にした仕打ちを根深く覚えていたので恨みもあったが、そんな人物であっても尊敬する祖父が愛した人。なので悲しい。なのにそういう光景を目撃して影で発狂してしまった。従兄弟や弟は何も知らない。

 

母に関しては、簡単には死なせない。ぽっくり逝けると思うなよと思う。幸いにしてうちは癌家計。癌の苦しみはかなりしんどいと聞いた。そして私の実家には幸いお金がある。だからこそ、延命に次ぐ延命で苦しめてやろう。そして苦しんでいる時に「私の受けた苦しみはこんなものではない」と言って、生命維持装置を外すフリをして苦しめてやりたい衝動に駆られる。

 

私個人としても、しっかりと資産を作っていこう。母の遺産に頼らずに、より苦しめるにはお金が必要。何とか病気を寛解させて働き、そのお金をしっかりと増やしていこう。そしてこれから産まれるであろう子どもや旦那にも残せる位の資産を作ろう。

統合失調症とアダルトチルドレンを患って思うこと

私が統合失調症と診断されてから早七年が経った。

 

元々統合失調症の気はあったが、症状が悪化したのは某ブラック企業に勤めてからだ。そこでは殴る・蹴るの暴行、吐いている奴の人格的を疑うレベルの暴言が繰り広げられ、そのパワハラ上司と取り巻きの気持ち悪い女どもが幅を利かせていた異常な空間だった。その後に不動産屋のバイトを経て夜の仕事に就いたが、段々失われていく判断能力や頭の回転がしんどくなって親に何度も仕事を辞めたいと話したが、なかなか辞めさせて貰えなかった。何処の仕事も続かず、せっかく良い仕事に就いても「お給料が少ない」と働いてない奴らに言われて泣く泣く辞め、またブラック企業を転々とする日々。そしてとうとう限界に達し、北大で精密検査を受けて統合失調症と診断された。

 

北大に検査入院をしている時に、親に散々やらかされた。「あんたはただの自律神経失調症。だから退院したら働きなさい。すぐ治るしね。」と言われたり、入院で身動きが取れないのに扶養を外されたりした。全てあの当時付き合っていた旦那が手配してくれていたから助かっていたが、旦那も異常と言う位には毒親だ。

 

統合失調症と告げられ、それは何時になったら治り働けるのかと主治医に聞いたが、ゆっくりじっくりとやるしかないと言われて絶望した。自暴自棄になって暴飲暴食し、体重も30キロ増えた。また、旦那に相当暴言を吐いてしまった。

 

そんな時に何の気なしに入ったペットショップで、旦那をじっと見つめてきた猫さんがいた。その子は一切私たちから目を離さなかった。これは運命だと思い、旦那に無理を言って連れて帰ってきた。そこから、少しずつ体調が良くなり、治療にも前向きになれた。この子が滑皮さんだ。

 

滑皮さんが来てから、家庭が明るくなった。暗かった家のなかも笑い声が絶えなくなった。

 

その滑皮さんが今は病気で苦しんでいる。多発性骨髄腫は発症してから早く亡くなるが、彼はまだ小さな体で持ちこたえている。彼にはたくさんのものを教えられ、たくさんの愛情を貰った。だからこそ彼の希望に添いたい。

 

そして私も、いつまでもうじうじと悩んでいられない。さっさと寛解させて次のステップに移りたい。作業療法にいた闘病する気もなく、「障害者を優遇しろ」と腐っていた奴らと同じになりたくない。こんな腐った連中と同レベルな自分に耐えられない。

 

今は滑皮さんの介護を優先させ、落ち着いたら資格の勉強を始めよう。ここまで思えたのも、周囲の支えがあってこそだ。今までは独りで苦しんできて、更に他人の苦しみまで引き受けていたが、今はたくさんの仲間がいる。だからこそ、こんな所で腐っていられない。

 

どん底からの這い上がりはもう慣れている。だから後は這い上がるだけだ。まだまだスタートにすら立っていないが、これからスタートに立って頑張ってプラスに持っていこう。