統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

ぼやき

やたらと他人に可哀想と言う奴らは、頭と理性が弱くて可哀想なので放っておいてOKだと最近になって開き直っている。

 

かつての私は家庭が裕福であるにも関わらずに食事が満足に与えられていなかったので、その辺の野草を貪り食ったり、食べられそうな昆虫や木の実を食べていたりした。当時は生きるのに必死だったので、自分が可哀想とも思っている余裕も無ければ自覚も無かった。むしろ時代の最先端とすら思っていたし、雑草も刈れてお腹も満たせてラブ&ピースとさえ思っていた。

 

だが、大人になった頃に芸能人の貧乏生活の内容が語られる度にギャラリーが「えーっ、可哀想」と変な声で騒いでいて、その芸能人も「可哀想」という言葉を渇望しているのかより話が増えていって、私の行っていたことがまるでめちゃくちゃ可哀想な人の様に言われている様な気がして、自己肯定感が物凄く下がったことがあったし、貧乏生活をアピールする人間が苦手になっていた時期があった。貧乏生活アピールを他人がすればする程、私が惨めで可哀想な人になっていく現実に耐えられなかった。

 

本当に妖怪可哀想は身勝手に発言をして人を追い込むクズだなと思うと、怒りを通り越えて逆に哀れみを感じる。語彙力が少ないのは本当に悲劇だなと改めて思った。可哀想としか鳴けない妖怪は、とっととカムイさんに除霊されれば良いのにと思う。

 

今改めて自分の置かれた立場を考えてみたが、ほぼ自業自得だろう。端から見れば酷い半生かもしれないが、一瞬どころか何度も様々な場所で咲けたのだから万々歳だろう。決して私は可哀想な人ではないと胸を張って言おう。