統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

美味しいご飯は元気の源

多発性骨髄種で脱水症状を起こし、脾臓も腫れて膀胱には大きな血餅が出来て排泄もままならなかった猫さん1号に、せめて好きなものを食べさせてあげようと大好きなウェットフードとおやつをあげた結果、みるみるうちに血液検査の結果が良くなって脾臓も縮まり、あれだけ苦労していた膀胱の血餅も小さくなって排泄もスムーズになった。そして今でこそ投薬は全力で嫌がるまでに良くなった。これを見て、改めて美味しいご飯は病をも克服してしまうのか、と感心してしまった。

 

管理栄養士育成の大学に通っていた頃、食事はただ生命を維持するだけではなく、コミュニケーションツールになったり、嗜好性を満たすことによりリラックス効果があるという話を聞いた。この話は管理栄養士国家試験の参考書の初めの方にデカデカと図入りで書かれている。また、太字でその人の「QOL(クオリティー・オブ・ライフ)」を尊重することが書かれていて、酷い(?)参考書になればその部分が赤シートで隠れる様になっている。

 

管理栄養士国家試験の勉強を一生懸命していた時、臨床栄養学やら生化学の知識ばかりを詰め込みすぎて、栄養士がよくやる勘違いである「数字を満たした完璧な食事」こそが至高であると勘違いしていた。そしてそれを他人にも言っていた時期があった。今思ってみたら、その時の自分をマシンガンでぶち抜きたい。

 

ある日飲み屋でその勘違い知識を振りかざしていたら、そこの飲み屋のお兄さんが私に笑いながら言われた。「確かにそれは必要かもしれないけど、不味い飯を食って長生きする位なら、俺は美味い物を食って早く死んだ方が良いや!」この発言に頭をぶち抜かれた。それと同時に、自分の頭はかつて不味いものを食べさせてどや顔していたデブババア管理栄養士と同じ思考をしていたのだと思うとムズムズした。これぞ正にQOL

 

また私は検査の為に3ヶ月大学病院の精神科に入院したが、そこの食事が本当に不味かった。ほとんど味がしないし、冷めていて脂っこい。美味しいのは冷凍フルーツ位だった。栄養価に殆ど影響が無いスパイスで香りを変えてみたが、それでも不味かった。ここまで真面目に食事を不味く作れるのも才能なのかと思わせる位酷いものだった。食事が不味いが為に患者同士の空気も悪くなり、殺人事件が起きる寸前のシーンの小説「ドクラマグラ」になりかねない空気が漂っていたのを未だに覚えている。

 

病院に入院し、不味い食事を食べ続けることがいかに地獄かということを思い知った。隠れて食べた自販機のホットドッグがあまりにも美味しすぎて、お見舞いに来た管理栄養士の友人の前で号泣してしまったのは良い思い出である。

 

食事とメンタルはかなりリンクしている。美味しい食べ物を食べると、様々なホルモン(全てを挙げると目が滑るので割愛)が出て幸せに繋がり、それがメンタルの安定へとつながる。また、かなりお手軽に幸せになれるからこそ依存性になり、そのまま肥満や摂食障害へと繋がる危険性も孕んでいる。だが、腹八分を守りつつ、1日が理想的ではあるが長くて1週間のサイクルで栄養価を調節すれば、かなり幸せにもなれるし生きる活力にもなる。

 

重度の精神衰弱で鬱々としていない限りは、美味しい食べ物を食べれば気分はハッピー。それで長生き出来るのならばもうけものだ!人生の長短で図るのは果たして幸せなのだろうか、とふと思うものの、幸せに健康であれば長生きも悪くないだろう。恐らくこれを管理栄養士国家試験の参考書は言いたかったのかもしれない。

 

猫さん1号や他の患者、自分の周りを見ていても、独身・既婚・果ては生物の分け隔てなく美味しいものを楽しんでいる人は悲壮感が無く、幸せそうだ。どういう立場であれ、法律に触れずに好きなことをしている人たちは、もれなく体型も極端に痩せすぎても太りすぎても居なくて、常識の範囲内で好きなものを食べている。美味しく物が食べられるうちは何事もはね飛ばす力を持っているということだろう。

 

そんな中私は飽きた納豆ご飯を食べる。このままでは病む為、ねぎとキムチが欲しいが、買いにいくのがめんどくさい。とりあえず美味しい納豆に感謝しよう。