先程の記事は物凄く情緒が不安定の時に書いたので、かなり感情的になってしまいました。見苦しい所をお見せして、本当に申し訳ございません。
正直に言えば、私はもう限界だ。去年からずっと、ろくなことになっていない。物凄く可愛がっていた猫さんの滑皮さんはもうこの世にいない。親と絶縁するのも苦しい。あれだけ頑張っていた試験も、震災で流れてしまってなかなかやる気が出ない。猫さんのさくらももういない。猫さんの姫を手術と喘息で苦しめてしまった。大幅な薬の変更と減薬、断薬で離脱症状で苦しい。ストレスなのか禁煙の影響なのか、味覚ががらりと変わってその結果、太ってしまった。頭も物凄くぼーっとしてしまい、認知機能障害が出てきている。症状の悪化で、家事は勿論、やりたいことすら出来なくなった。このままでは、呆けてしまう。
私は「甘え」という言葉に過剰に反応してしまう。私自身が言われるならば、辛いがまだ耐えられる。だが、他の頑張っている人や身近な人が「甘え」と言われて苦しむこと程、私にとって辛いことはない。甘えか甘えで無いかは、病気というよりもその人の元々の性格がかなり大きい所を占める。それなのに、全てを病気のせいにされ、「これだから精神障害者は」といっしょくたにされ、自分や他の頑張っている方々も含めているかのような言われ方をするのが辛い。
もし、精神疾患が甘えならば、風邪も骨折も糖尿病も癌も甘えということになってしまう。そもそも精神疾患は、心の問題というよりは脳の問題だ。脳が悪くなっているのに、甘えもへったくれもない。誰も病気になんかなりたくないし、病院にも行きたくないし、薬という恐ろしいものなんか飲みたくない。仮に病気になりたい奴がいるとするならば、それは中二病か楽して生活保護や障害年金を貰いたい怠け者だろう。そいつらと頑張っている人たちを一緒にされたのではたまったものではない。
何故ここまでナーバスになっているかというと、「お前は含まないからな」と前置きをした上で精神障害者の悪口を聞かされたり、甘えの連中といっしょくたにして精神障害者の文句を言ってきたり、精神障害者は人の痛みが分かると勝手に思われて私に甘えてなければ吐けないであろう暴言をまくし立てて来る、頭の悪い健常者が非常に多いからだ。確かに言いたいことは分かるが、目の前に当事者が居るにも関わらず、言いたいことをペラペラ喋って自己満足する輩が非常に多すぎる。最近は他人への想像力が著しく欠けた人間が非常に多いと実感する。
そして、家族を残して自殺する人の気持ちがよく分かった。薬の離脱症状や周りからの反応、過剰に言われる「頑張れ」「さっさと治せ」「周りの方が辛い」という言葉、謂われの無い暴言や差別発言。こういうことが続けば、そりゃあ周りのことを考えられずに自殺してしまうだろう。自分でさえいっぱいいっぱいなのに、他人のことまで考える余裕は無いが、周りはそれを強要する。これで自殺するなという方が無理だ。薬の離脱症状にしても辛い。耐えられないシャンビリやアカシジア、頭痛や吐き気等酷い離脱症状があるのに、しゃっきりしろとずっとお尻を叩かれていたら辛い。風邪や骨折ではゆっくりと治せと言われるのに、薬の離脱症状は気合いで治せと言われる。気合いで精神疾患や薬の離脱症状が治るならば、誰も苦労はしない。
もう何もかもが嫌になった部分も否めない。人は好き勝手に言い過ぎて、そのくせ自分へは配慮を求める自己中が多すぎる。本当に心から「死ね」という言葉が出てくる位、私の心は弱っている。甘え病の阿呆と一緒にして叩かないで欲しい。