統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

今日で36歳になったが、微妙な気分だ

今日で私が産まれて36年が経過した。思い返してみたが、人生の大半が「因果応報」「自業自得」という、自分と自分の親がした酷いことがまんま自分に降りかかってきた半生だった。何度も自分の死を願ったが何とかここまで来れたのは、十三年にも及ぶ旦那のサポートや友人たちとの切磋琢磨、歴代の猫さんたちの優しさ、ネットで知り合った皆様からの暖かい目線のおかげだ。本当にありがとうございます。

 

一年前の今日は「京アニ放火事件」。今日はけっこう好きだった俳優の三浦春馬氏の死。その一方で元Ruppina工藤舞氏(ちなみにこの方とは同じ学校の同級生だ。何処の誰かはバレそうに無いから書く)と、広末涼子氏の誕生日でもある。私的には、今日という日は命について考えさせられる日となった。

 

前々…それも猫さんの滑皮さんの介護の時から書いているが、私は自殺については肯定も否定もしない。何故なら、死にたいと思うこと自体が精神を病んでいる事だと思うからだ。精神が病んでいればまともに判断が下せず、物の考え方の視野も狭まってしまうが為に、極端なことをしてしまいやすい。健康な精神の持ち主は「もっと生きたい」と思うのだろうが、精神が病んでいると症状がしんどすぎて早く解放されたいあまりに死を選びがちになる。まるで末期ガンの患者が痛みのあまりに「早く死なせてくれ!」と泣き叫ぶ様に。精神の不調は目に見えない分、他人に伝わりにくい上に軽く見られがちである。

 

以前このブログで、私のネット上の友人がうつ病の治療の途中で自ら命を絶ったと書いた。その友人には子どもが二人居たが、最期まで子どもたちを気にかけていたのが辛い。ただ、その友人はよく「辛い」「死にたい」と日記に書いていた。その当時はその友人がもうコメントしてくれることはないのかと思うととても悲しかったし、彼を死に追いやった元凶である人物が憎たらしかったが、今になって彼は天国でうつ病から解放されて幸せに暮らしているかな?と願う。痛みや苦しみが取り除かれて、快適に過ごしていることを願わずにはいられない。

 

よく自殺しようとしている人に「周りのことを考えろ!周りを悲しませるな!!」と言う人がいるが、自殺しようとする人は周りのことを考えられない位まで追い込まれているのだから、その言葉程度では思い止まらないだろうと思う。周りのことを考えられる位ならば、まずは先に自分の精神の苦痛を取り除いて欲しい、それが出来ないのならばもう苦しみから解放してくれ!と思っているだろう。逆に、そこまで追い詰められている人の苦痛を取り払うことをせずに周りのことを考えろというのは、周りのエゴでしかないのではと思えてしまう。そしてそんな「自分が!自分が!」という周りしか居ないことに絶望して追い詰められたのだろうなという想像が容易につく。必要なのは治療か話を聞いて受け止めた上で止めることなのに、それをせずに生き地獄を生きろという方が酷ではないかとすら思う。

 

今回の三浦春馬氏については本当に残念であると同時に、彼を悩ませていた全てから解放されたのかと問いたいし、「重圧」から逃れる為の最終的な結論が死というならば、私は彼を責めることは出来ない。亡くなるまで追い詰められていたのだから、むしろ私は彼の病との戦いの意思をただ尊敬する。私の中では自殺というものはなく、精神の病による「病死」だと思うからだ。ここまでよく病と戦ってきたと思うと、頭が上がらない。こんな状態であんなに結果を叩き出して、よく頑張ったと彼を褒め称えたい。前出の友人も、本当にお疲れ様でした、今はよく休んでまた会いましょうと思う。

 

京アニの件に関しては、亡くなった方々はまだまだこれからという明るい未来を持っていたのに亡くなってしまって、とても無念だったな、悔しかったな、と思う。こちらは生きたくても生きられない辛さだろう。この犯人に対しては、いくら病だったにしても無責任かつ身勝手な犯行だと思った。ただ、私もつい最近まではその犯人と似たような心境で、外国人に嫌がらせをする所だったので、何となくどういう心境だったのかは想像がつく。この犯人と私は紙一重だったな、と改めて思うと、背筋が氷る。

 

この方々と元プロレスラーの木村花氏の件で、人を追い詰めたらどうなるのかというのがよく分かった。だからこそ、他人には余程腹が立つ奴以外は、愛情と優しさを持って接したい。

 

今年の二月に娘が産まれることで生命の神秘も経験したが、こんなに愛おしい存在が苦しむ姿を想像すると辛い。親心としては長生きして貰いたいが、どうなるかは私の言動にかかっている。娘にもその周りにも、優しさと愛しさで包まれることを祈る。

 

死にたくても生命維持装置を付けられたり無理な延命治療をされて苦しみながら生きる人もいれば、死にたいけど生きたいというジレンマを抱えたまま極端な結論を出してしまう人もいれば、生きたくても生きられない人もいれば、生き地獄にうんざりして逃げ出した結果新たな地獄に片足を突っ込む人もいれば、この世の全てから祝福されている人もいる。人は本当に様々だ。全ての人へは無理だし、私にも人の好き嫌いは存在するが、大体の人へは優しくしたい。

 

酔っ払い投稿。