統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

軽く闘病日記~昨日の体調~

昨日はメンタルの調子がめちゃくちゃ悪かった。

 

娘が耳をふさぐ仕草をよくするので、勝手に旦那が発達障がいがどうの、自閉症がどうのとわめきたてて来て、こちらまで不安でメンタルがやられてしまった。よくよく考えてみれば、精神科医でも無ければ小児科医でもない旦那が、何故発達障がいを診断出来るのかと考えたらただの大げさな話だと考えられるが、発達障がいや自閉症という言葉を連呼されるとあたかもそうかのように思えてくるので、自分も浅はかたったと反省する。

 

そして本当に私は旦那とは共感はおろか、コミュニケーションが取れないみたいだ。私が何かを伝えようにも、途中から口を挟まれた上に断定口調で内容を決めつけられて話題を持っていかれ、私が意図しない方向に話を持っていかれる事が多々あり、どちらがコミュニケーションの取り方が下手なのかが分からなくなる。また、自分の頭脳にも自信が無くなったし、経験も全てにおいて自信が無くなってしまった。もはやどちらが馬鹿なのか分からなくなった。もしかしたらヤバいのは私で、発達障がいのグレーゾーンなのかもしれないと思うと、もう一度北大辺りに行って調べた方が良いかもしれない。

 

もうこれ以上悪いことが起きて欲しくないのに、次から次へと悪いことが起きる。小さい頃からほとんど良いことが無いので、もはや人生にかなり絶望している。こんな人間が子育てをして良いものかと悩むし、そもそも子どもを産んだことすら間違いだったのかと思わせるような事が頻発して起こっているので、自殺する人の気持ちがとてもよく分かる。

 

よく恵まれた立場の人間は「自殺する奴は馬鹿。死ぬ気になれば何でも出来るから、とりあえず生きろ。」と宣うが、じゃあその目の前の死にそうな人間が死ぬ気で努力して結果を残せるだけの環境とその間の生活を保証出来るのかと聞きたい。その目の前の死にそうな人間は、既に死にそうな位に苦しいからこそ、死に救いを求めているのだろうに。その人に必要なのは、叱咤激励でも説教でも暴言でもなく、その痛みに寄り添って話を聞いた上で受け入れて貰う事ではないのかとも思うし、場合によっては病や貧困からの救済だったりするのに、何故そこをすっ飛ばしてお前のストレス解消のサンドバッグにしているのかと一発ぶん殴りたい。そしてその説教こそが自殺の引き金を引いていると何故分からないのかとただ悔しい。

 

正直に言って、人の心を一番傷付けるのは、悪ではなく偽善だと改めて思う。善だと思ってその言動を押し付けて、その結果人を傷付けたのならば、それは善ではなく偽善だし、果てにその人が亡くなったのならばそれは悪だ。

 

自殺は心の病での病死だと私は思うが、それすら「自己責任」と切り捨てて「あいつは思慮が足りない」「生きることから逃げた腑抜け」だのと暴言を吐く輩は、本当の生き地獄を知らないだろう。もし知っているのならば、そんな発言は出てこないだろう。

 

「ここまで言うならば、あなたは何故生きているの?そんなに辛いならばさっさと死ねば?」という言葉が出てくるだろうが、私は物心がつく前から心が死んでいるのでゾンビ状態でかろうじて生きている状態だ。何度もありとあらゆる暴力を受けて生きてきているので何度も心が殺されているし、実際に私は生きていてはいけない人間なのだろう。だが私には死ぬ勇気が無い。亡くなった人達よりも腑抜けなのは私の方だ。死ぬ理由が無いから生きているだけである。逆に私に死ねという奴はどの立場から言っているのか興味がある。

 

自殺については一歩間違えれば我が身の為、「馬鹿」だの「身勝手」だの「自己責任」だのと言って笑えない。かといって「生きろ」だの「死ぬ気で頑張れ」だのとは無責任に言えない。目の前の人の苦しみを少しでも楽にできることしか考えられない私は阿呆なのだろうか。

 

この時期に亡くなった友人に対して何も出来なかった後悔でこの記事を書いた。彼は今は笑っているのだろうか。それを祈る。