統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

何故こうなってしまったのだろう

私は人よりもかなりコンプレックスが強く、妬みが強くて自分への理想が果てしなく高い。そして他人が私が我慢していることをしてしまうことに物凄く抵抗がある。また他人への理想も高くて、その為に散々ヒステリーを起こして来た。物凄く反省すると共に、私は何が足りなくてこうなってしまったのかを考えた。

 

すると、私の過去に起因していることが分かった。それは、母親からの無条件の愛が貰えず、常に愛情は条件を付けられた上で与えられたことが起因しているのだろう。母親のことは死ぬほど憎いし、さっさと死ねと思う反面、何故か母親からの無条件の愛を求めてしまう。

 

周囲からも散々期待をかけられ、期待に応えなければ徹底的に叩かれて来た経緯がある為、必要以上に頑張ってしまう癖が出来てしまった。その結果、統合失調症を拗らせてしまい、未だにあまり回復をせずに燻っている。頑張らなければ愛されず、必要とされない。この思い込みに散々苦しんできた。正に「愛情ゾンビ」だ。どんなに他人に愛情を注がれても満足せず、常に愛情を求めて彷徨い続けてしまう。一番欲しいのは、母親からの無償の愛だった。

 

私の両親は猛毒親だが絶縁をするに出来ないのは、何処かで無償の暖かい愛情を注いで貰うことを求めているのが理由だ。頭では他人は早々に変わらないし、他人を変えようとするにはかなりのエネルギーを必要とするのは分かっているし、この両親を捨てなければ前に進めないことは分かっている。また両親を許して以前と同じ様にすれば、同じことを繰り返すことも分かっている。だが、感情の部分が邪魔をしてなかなか上手くいかない。厄介なのは、心の奥底で両親の愛情を求めている自分自身の影があることだ。

 

他人がドライなのではなく、乾いているのは私の心だ。この問題を何とかしない限りは、また愛情を求めて彷徨い続けてしまうだろう。身近にある愛情よりも親の愛を求めてしまい、近くの物が見えなくなってしまう。これは性なのか、それとも私が執着してしまっているのかは分からない。

 

ふと娘が私を求めて泣いている場面を思い出した。目を潤ませながら手を伸ばして、私を望んでいる。この姿を無視することは出来ないし、この子の事は無条件で愛している。この子だけは「愛情ゾンビ」にしないようにしようと思った。何でもかんでもワガママ放題にはしないが、少なくとも私の様に愛情を求めて彷徨い歩く人間にならない様に育てよう。彼女と彼女の周りが愛情と優しさで包まれる事を祈る。