統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

ぼやき

いつも褒められるのは健常者で、落とされるのは精神障がい者だな、と改めて思う。

 

たまたま私だけかもしれないが、私以外の「健常者」の主婦ばかり素晴らしいだの頭が上がらないだのと崇められるのに、休み休み家事や育児、仕事を精神障がい者である私がやると、「休み休みやるのは甘え。何一つ上手く出来ていない。健常者に迷惑ばかりかけて、健常者が可哀想だし偉い。お前は出来損ない。」と言われる。

 

恐らく重度の精神障がい者は症状の特性上、自分の口で咄嗟に自分の思いを伝えるのが得意な人が少ないからこそ本心が伝わらないくて、それが歯がゆいからこそ発狂するのだろう。まるで筋弛緩剤を手足に打たれて身動きが取れないが、意思があるのに拷問の痛みを伝えられない昔の動物実験に使われた動物の感じに似ているだろう。たとえ重度であっても、自らを差別しているであろう人物の発言内容と目付きは理解出来るが、それに対して咄嗟に反対意見を述べて反論することが出来ないからこそ、余計に辛くなる。

 

周囲の健常者は自分の意思を伝えられるからこそ同情して貰えたり、サポートを受けられるが、健常者と精神障がい者の中間位の立ち位置(ただし手帳は二級で、障害年金を貰うレベルではあるが)であれ私のような人間に対しては、福祉の窓口も世間の目も冷たいと感じる事が多いし、何かと「甘え」「税金泥棒(生活保護を貰っている訳でもないのに言われた)」と言われて罵倒されやすい気がする。更には、精神に障害があることで、人の痛みが分かると変な解釈をされて、健常者のうだつの上がらない奴からは愚痴のゴミ箱にされた上に暴言を吐かれる。

 

こうも健常者に酷い仕打ちを受けて、何でもかんでも「甘え」で一喝されているうちに、過剰に自分を責める様になってしまった。カウンセラーの先生にも「自己犠牲が過ぎるから、少しは他人に向ける愛情を自分に向けて大切にしろ」と言われるレベルに、過剰に自分に対して厳しくなってしまった。少しでも荒があれば叩かれるので、気が抜けない。その荒がかえって家族への同情に繋がり、自分のみならず他の精神障がい者の人まで差別的に見られてしまうと思うと、なかなか手が抜けない。

 

精神障がい者との生活において、一番辛いのは家族だと世間は言うが、それに私は懐疑的だ。本人は呑気なものだという暴言を私は散々吐かれたが、呑気に見えて内情は申し訳無さとこれ以上迷惑をかける位ならば死にたい気持ちでいっぱいだ。もうこれ以上暴言を吐かれるのはたくさんだし、差別されるのも辛い。そして精神障がい者というだけで全て「甘え」と言われるのも嫌だ。もはやこの「甘え」という暴言が、私の中で呪いのごとく燻っている。

 

どいつもこいつも好き勝手に言い過ぎだし、それに対して言い返すと「自分の言動に責任を持て」とダブルスタンダードかましてくるのはどうにかならないのだろうか。そういう奴らこそ、「人間臭さ」という言葉に「甘え」ないで、「自分の言動に責任を持て」よ。私が言うのも変な話だが、脳ミソイカれてんのか?人の頭の障害を馬鹿にする前に、自分の脳ミソの「障害」を治す努力をすれば?本当に頭が足りないな。頭が足りない奴に限って声が大きい上に、しつこくてやかましい。私が脳ミソに問題があるならば、そいつらは知能と理性と品性に問題がある。

 

何度もこのブログで言っている言葉だが、本当に馬鹿を治す治療法を頭の良い人に見つけて貰いたい。この世で一番の害悪は、知性と理性と品性が欠けている馬鹿だろう。精神障害につける薬はあっても、馬鹿につける薬は無い。切実に馬鹿につける薬を開発して欲しい。