統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

「明日、私は誰かのカノジョ」を読み進めて感じたこと~ネタバレ注意~

私は「明日、私は誰かのカノジョ」を広告から入り、漫画の大半をサイコミで読んでいるが、作者のリサーチ力と絵の描き分けの上手さにいつも驚かされる。特に人物の心理描写がとても上手くて引き込まれる。

 

各ストーリーに一癖も二癖もある主人公の女性が出てくるが、夜の仕事をしていた私からすると、随分と夜の仕事(レンタル彼女も含む)に就く事を甘く見て入店している人間ばかりだなと思ってしまった。特にその仕事に就いている間に恋人か出来た際のシミュレーションや、その仕事に就く事によって起こりうる不都合がまるで想定されていなかったり、目標を達成した後の事が考えられずに場当たり的な人間しか居ないなという感想を持った。夜の業界に入る際にネット等でデメリットや夜の仕事の人間がどう見られるのかと調べて了承した上で入るのが当たり前だと思っていた私にとっては衝撃的だった。どんなに想定してもイレギュラーな事は起きるが、普通に考えても想定出来ることを想定せずに、被害者面して悲劇のヒロインの様な顔をしている人間はリアルでもたくさん見てきた。

 

結局の所は、異性の心を弄んで利益を得た人間は大きなしっぺ返しが来るという感想を持った。そしてどんなに親が毒親であっても、それを理由に人を傷付けてはいけないし、それを理由にやりたい放題やって人を苦しめるということは身勝手で最低最悪であるということも分かった。自分が不幸な事は当事者以外には関係無いし、他人に八つ当たりして良い理由にはならない。そして、戻ってくる場所があればどんなに堕ちてもやり直せるということも分かった。エミーさんや萌がやり直せたのも、戻ってくる場所があったのと、元来の性格の良さのお陰で良い人に恵まれたというのがあったのだろう。

 

確かに私は毒親育ちかつ元夜の仕事の人間だが、いつまでも過去にしがみついて悲劇のヒロイン面をして悲しんでいる場合ではない。ルナや萌、エミー、あやなの様にしっかりと前を向いて、過去を受け入れつつ進むしかない。これが人生がハードモードだと言われても、生まれてこの方ずっとこの様な人生だったので他の生き方は想像出来ても詳しくは分からない。私は「げすねこ」の人生をただ生きる事しか出来ないし、誰も私にはなれない。

 

かつての椎名林檎氏も「同情を欲した時に 全てを失うだろう」と言っていたが、その通りだと身に染みた。確かに私の人生は色々な事が重なり人によっては早々に命を絶っているかもしれないが、それでも私は生きて子どもまでいる。つい最近はRSウイルスにかかった後で熱中症にかかったが、一先ず生きている。生きているだけ儲け物とは思わないし、亡くなった人に関してはただお疲れ様ですという言葉以外は見当たらないが、生きている以上は前を向いて進むしかないなと、この漫画を読んで考えた。