統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

努力をせずに足を引っ張る馬鹿と、周りの努力や運の上に胡座をかく奴が嫌い

私は昔から何かしらの習い事や勉強、仕事を長いこと続けてきた。例え結果が出せなくても、その過程で得た物は未だに生き続けている。例えば、母方の祖父のスパルタ式の書道を六年間続け、高校でも授業での書道を続けた結果、何処へ行っても字が褒められる。ただし、ブラック企業では「字が汚い」と罵られたが、他の奴らの方が汚かったのにと思うものの、気にしないことにする。

 

タイトル通り、私は努力が嫌いで周りの足を引っ張る奴らや、運や周りの努力に胡座をかいて何もしないまたは威張り散らす馬鹿が大嫌いだ。私自身が努力しなければ凡人以下のゴミ虫だからこそ、努力をしないと凡人にすらなれない。だが、その努力をことごとく邪魔され、最終的には私と他の人を比較して私を下げることを多々やられた為、物凄くコンプレックスが強い。だからこそそういう奴らが許せない。

 

どちらも違うように見えるが、努力することを放棄して周囲のモチベーションを削いでいるのが共通している。前者は「何も出来ないクソムシな私に合わせてみんなダメになろう」、後者は「何も出来ないけど、見た目が良い(才能のある)私に従って楽をさせて」というゴミどころかウンコよりも役に立たない産業廃棄物以下の有害物質だ。こんな奴らが蔓延った世の中は腐っている。世の中が腐っているからこそ、段々努力をすることが馬鹿らしくなってきた。だからといって努力はやめないが、足を引っ張られても負けないどころか根こそぎそいつらに制裁を加える根性と、そういう「女王蜂」を巣から引きずり出してローヤルゼリーを取った後で踏みつけるだけの若さが欲しい。

 

こういう奴らは今すぐに死んでほしい位に嫌いだ。Janne Da Arcの7-SEVEN-のサビの部分を奴らに課したい位腹が立つ。この曲は浮気をされた男性がぶちギレて女性に暴力を働いた曲だが、それよりも酷い社会的制裁という名の「DV」を加えてやりたい。4、(私が行う社会的制裁について)泣いて許しを請え、と内心思う。

 

精神科作業療法にも、会社にも、家庭にもこういう奴らが居たが、よく殺意を覚えていた。私もかなりのダメ人間だが、そいつらはゴミ以下の汚物だ。こんな奴らに統合失調症を発症させられ、治療を邪魔されるどころか悪化させられたのは腹立たしい。もっと強さがあれば、もっと若さがあれば、もっとパワーがあれば、もっとお金があれば、と何から何までを求めるものの、今の私には何もない。それが悔しい。

 

これらをバネに頑張ろうと思うが、私の場合はやり過ぎてしまう。やり過ぎ厳禁という制限をつけようとしても、なかなか上手くいかない。これも認知の歪みなのだろう。努力をしても満たされないどころか搾取をされてしまう。その焦りが最近の残虐思考に基づいた呪いの言葉へと繋がっていた。努力をしようが、最終的には崩される。この空しさが最近の呪いの正体だと気付いて、とても悲しくなった。

 

だが、努力の過程で得たものは何事にも替えがたい。努力をしてやっとのことで手に入れた景色は、どの景色よりも素晴らしかった。私の様なうだつの上がらない無能でも物事を達成出来たという充実感等で満たされる。努力をしなかった人間は決して手に入れることの出来ない風景を私は見ているという優越感と、その風景の素晴らしさを私は忘れない。そして、そこで得た知識や経験、スキル等は色褪せることなく私の心に生きている。また犠牲になった数々のものに関しても、そのものがあった(居た)お陰で戦えたというのがあり、彼ら自体は犠牲になったが、存在自体は心の中で生きているし、私は彼らを忘れない。

 

つい最近までは無いものばかりを数えて居たが、今はあるものを数えている。私には過去も現在も未来も、努力をして得るものと、失ったものが残してくれたものが生きている。これだけで十分なのかもしれないが、やはり努力をしないだけならばまだしも、害を与えてくる人間には腹が立つ。こいつらに復讐しつつ、周りに感謝しつつ、頑張っていこう。