統合失調症患者のつぶやき~ゲスでいいじゃない~

統合失調症を治療中の患者が闘病日記+ゲスなつぶやきを呟くブログ。ゲス注意。女・既婚者です。

「甘え」という呪縛

このブログでも再三書いてきたが、私は「甘え」という言葉が大嫌いだ。何故なら、他人を「甘え」とこき下ろす人間には必ずブーメランが刺さっており、結局相手のことを考えずに自分の脳汁を垂れ流したいが為に振りかざしている言葉でしかないと思える場面に多々遭遇しているからだ。要は、自分の一時の快楽の為に、他人に努力をさせて自分は楽をしたい時の悪魔の台詞だ。こういうことを言う人間が大嫌いだし、努力厨と呼ばれる、過剰に努力を強要する奴らは総じて怠慢だと思う。こういう土壌がブラック企業を蔓延らせると思う為、かなり害悪だと思っている。

 

私は物心ついた頃から、少しでも楽をしようとすると「甘えだ!」と、七つの大罪を犯したかのごとく周囲から断罪されてきた為、「甘え」という言葉に一種の脅迫観念の様なものを抱いている。今になって「甘えの何が悪いのだろう。私が甘えてお前にどんな迷惑をかけたんだ?」と思うが、かつては「甘え」という言葉を極端に恐れていた。それと同時に、他人は私に甘えているのに、何故私が甘えるとここまで糾弾されなければならないのかが良く分からない。酷い人になると、精神科にかかっている人間は全て甘えだと言い切られたことも多々あった。

 

人を「甘え」と断罪する奴に聞きたいのは、お前は甘えてないのかと聞きたい。そういう奴に限って、他人にはだだ甘えだったりするし、自分にはべらぼうに甘くて他人にはめちゃくちゃ厳しいということだ。自分を客観視出来ないから、他人を「甘え」だと糾弾して、他人を追い込むのだなと思った。甘えが悪いのならば、人に暴言を吐いて「正論だから許してちょ🖤」と人を傷付ける行為こそが「甘え」の最たるものではないかと思う。そして、人の言動を「甘え」と断罪出来る程自分は高尚な人間なのかと自問自答しろと、胸倉を掴みながら叫んでやりたい。もし高尚ならば、下界に降りてこずに天界でお過ごし下さいとお引き取り頂きたいし、そんなに高尚な人間はもはや神の領域なので、指摘している人の全てがプライバシーという言葉が機能しない位に丸見えだと思うので、息苦しいから散って下さいと願うばかりだ。

 

酔っ払い文章なので何が言いたいのか分からないが、人を甘えと一刀両断する人間は、その人の何を見て言っているのかが興味がある。言いきるからには、その人の一生を背負う覚悟があって言っているのだろうな、と他人事ながら思う。いらんお節介は焼くものではないとひしひしと感じた。