昨日の記事でめちゃくちゃ凹んでいたが、色々な人たちが頑張っているし、ここまで来たのに腐るのは勿体無いと思ったので、もう少し自分を信じて頑張ってみようかと思う。
私は自己肯定感が低く、常に自分を責めてばかりいた。自分を客観視出来ないが為に、様々なものが狭まっていた。何をするにも、可能性の芽を摘んでいるのは自分ではないのかと疑ってしまう。
今自分が出来ることを精一杯やれば、何かしら良いことがあるのではと思いつつ、やれることをやっていこうと思った。
そして、何故作業療法では視野が狭まってしまって、無給のものだとダメなのかと疑問に思う。そいつらはBNF氏やCIS氏、果てはウォーレン・バフェット氏すら視野が狭いと言っている様なものだ。労働が美徳と言いたいのだろうが、働いていないから視野が狭いだの、甘えているだのと宣うのは、いささか暴論ではないのかと思った。その人たちの言う「働く」こと以外で対価を得る行為は、本当に不要なのか、それこそ「視野が狭くて甘えている」と思う。
人は一人で生きている訳でもないのに、精神障害者だけに「甘えている」というのはおかしいだろうと思う。一人で生きているとそいつは言えるのだろうか。そもそも、無理なものを無理と言うことを甘えというならば、甘えて何が悪いのかと思う。健常者かて何でもかんでもOKと言っている訳ではないだろう。何故精神障害者だけ言われるのだろう。
私は、甘えられる部分は甘えつつ、ある程度出来ることはやっていくつもりだ。やれないことをやって潰れてしまう前に、やれないことはやれない、やれることは出来ると言おう。